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とても良い

朝の実家の片付けをしに来た槙生と朝
故人に対する感情や、その受け止め方に困惑するものの、作業は滞ることなく進んでいく
朝は母親の自分の中での存在感と、母の死に対する実感が自分の中でまだ整理されていないのか、母親のことを現在形で話している
それに対して槙生は過去形
対照的な二人に見えるが、槙生が示したのは、朝は現在完了進行形で物事を見ていると
現在形でもなく、過去形でもない、まさに過去から未来までも含む「感情を整理している途中」の状態を表すのにふさわしい比喩だと思った
卒業式に出る前に友人のえみりにショッキングなことを伝えられる朝
卒業式に出席せず家に帰ろうとするも帰り方が分からない
槙生が来てくれたものの、どうしても口を紡ぐ朝
そんな中槙生が提案したのは「足湯に入ろう」
物事をその場で解決しようとするのではなく、一度落ち着いて考えてみることも大事だし、だからといってその場面でその提案ができるのはすごいなと思った
口論になりそうな二人だが、本質はそこではない
問題は朝とえみりの関係であって、この二人ではない
そして、「あなたの感情はあなただけのもの」というのも、それ自体はその通りだが、それはルールではない
だから「自分自身の感情を大切にするべき」ではあるものの、同時に「それよりも大切なものが、状況次第ではもしかしたらあるかもしれない」と常に考えることはもちろん大切になる
それが朝とえみりの関係に当てはまるのではないか、と槙生は考える

※↓ここから少し自分語り入ります!

自分も学生のときの卒業式は、特に出たいと思わなかったし、高校のときは体調の都合で出られるかも怪しかった
結局出たけど、出て良かったとかは特になく、「ああ終わったな」ということを思っただけで感慨とかも特になかった
それと関連して、ネット上での定期的な話題として、成人式に出たかどうかというものがある
成人式に出たから偉いとか、出なかったからどうだみたいなことは無くて、個人的にはどちらでもいいと思っている
俺は出席しなかったけど、別に出たらよかったとか出ない方がいいみたいな「思想」は特に無くて、出て楽しめると思うなら出ればいいし、同窓会行って二次会も参加したりしてもいいだろうし、でも出ない人がいたってそれは自由だよね、というその程度のものでしかないと思ってる
要は何が言いたいかというと、卒業式にしろ成人式にしろ、そういった形式的な儀礼はそこまで重要ではなくて(もちろん、重要だと考える人もいるだろうけど、少なくとも朝や槙生のような人間にとっては)、それよりも、例えば槙生にとっては今も続く友人関係であり、それが朝にとってはえみりなのかもしれない、ということだ
自分の経験に照らしても、自分が辛い時も話を聴いてくれるような友人が、少ないながらもいることは本当に大きな財産だと思っている
この作品はそうやって、「本当に大切なものとは何なのか」を教えてくれる



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