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普通

表と裏、見えるものと見えないものによる対比が中心となっていたように思う

人馬にとって弓道をする意味とか、綾香の態度の裏表具合とか、魚人の興奮ポイント、エリが執り行った祭の効果、すえとオセロしていた父親からは見えない存在などなど
裏側や見えない部分が必要とされる理由は見栄を張るためとか、何かを隠すためとかあるけれど、その意味合いが最も強かったのは神様に見せかけたロボだろうな。ケツァルコアトルの質問からすると、蛇族が神とは何かを調べるために仕掛けたものみたいだけど何故そんなことをする必要があったのだろう?
おじいさん人魚の「本当に居たりするのは神様じゃない」という発言とすえ父には見えない女の子の存在を併せて考えると、何かとんでもない展開が始まろうとしているような気がしてしまう

それにしても人魚の暮らす環境が想像の斜め上で光渡しだらけになっていた点は衝撃だった。目の前の絶景を無視して他種族の水着写真やエリの恥ずかしがる姿に興奮する姿勢は、別の意味で悟りの境地に達しているような……



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