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とても良い

樹海は変わらず死者に対して手足を接ぐ。盗まれても、生きてる者に遣れと言われても我関せず。生を失った彼は死者に対して無意味な行為を続けるしか出来ない
唯一樹海が意味有るものとして育て上げたのが百鬼丸。しかし、百鬼丸の生き方は樹海に生を授けるようなものにはならなかった

本当の母親に会った際、百鬼丸は温もりや加護を与えられるものと思ったがそうはならなかった
そして今回、百鬼丸は樹海が与えようとする温もりよりも戦うための足を欲する
百鬼丸にとって意味有るものとは身体を取り戻せるものだけになっているかの如く

百鬼丸の生まれと望みを知った樹海は百鬼丸の生き方を危ぶむ。百鬼丸を救えずとも地獄に近づけないため足を壊す
けれど、この行動は百鬼丸にとって再びの拒絶となる。母からは救えぬと言われ加護を失った。樹海からも救えぬと言われ戦う足を失った
その後、百鬼丸の行く手を遮るように洞窟は閉じられる。しかし、百鬼丸はゆっくりすれば良いとの樹海の言葉を振り払い、身体を取り戻せなければ何の意味も無いとばかりに穴を掘る
そんな百鬼丸に樹海は問答を重ねる。その中で百鬼丸は血に塗れた人生において、それでも傍に居てくれたどろろの存在を示そうとするが、今は居ないという答えを返すしか無い
与えられたものでも、奪われたものでもなく、ただ傍に居てくれたどろろが今は居ないことが強調される

縫の方は自身の行動が無意味であったと悟る。菩薩を通して息子の無事を願っていたのに、菩薩によって自分の信心と百鬼丸の無事は関係なかったと知る
それどころか、醍醐の土地の終わりすら悟ってしまう

国の為に兄を切り捨てる判断をした多宝丸は変わっていく。あれほど母の愛を請うていたのに、母の快気に目を向けようとしない
それどころか妖を退治する場面では親子の情を利用する非情さを見せる
情ゆえに兄を救おうとした多宝丸はもうおらず、ここにいるのは醍醐景光の後継者に相応しい人間だ

樹海は百鬼丸を修羅の道に落とした自身を人に理不尽を働く鬼神であると考える。更に百鬼丸が名を尋ねても何者でもないと名乗らない。
そんな生を失ったままの樹海に百鬼丸は「おっかちゃんだ」と呼びかけ、自分と樹海の関係に意味を作り出す
その呼び名は樹海の人生に意味を見出すものとなり、樹海は生を取り戻す
この一連のシーンは樹海の涙も相まってとても素晴らしいものだった



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