降って湧いたチャンスにギラつく予科生。でもこれは公演だから見るお客が居て、求められる演技が有る。その上で演じる自分という個性を表現しなければならない
この難題への対応法や克服法にそれぞれのスタンスの違いが見えて面白いね
薫と彩子などはこの事態に「自分が何を見せたいか」を中心に考え、対してさらさに助言する愛や愛の母、そして聖は「客が何を見たいか」を中心に物事を考えているのかな
愛の「もう一度さらさのロミオを見てみたい」というのもさらさの演技を見たい客の立場としての発言だね
聖は本科生として予科生にとってのチャンスを冷徹に見つめているね
文化祭の本番は本科生の卒業公演であって、予科生の寸劇はおまけ。これに興味を持って見に来る者なんて、それこそ既に知名度がある奈良田愛が目当ての程度
だから、持って生まれた美を持つ愛にジュリエットを勧めるわけだね
さらさは様々な角度から今回の件を考えているね
当初はティボルトに対し「自分が何を見せられるか」に自信が無いから避けようとした。でも一度やった役に自信が無いとは、以前の演技に不満が有ったということ
逆に言えば、その不満を克服してこそ役者として成長できる
自分が見せたいもの、客が見たいもの。このバランスを取りつつ個性を持って役に寄り添う
でも異なる時代・環境の人間に寄り添うのは簡単ではない。それをさらさと愛は自身の中にヒントを見つけたね。単純に役の気持ちになるのではなく、自分と重なる部分を通して寄り添っている
手の届かない者への嫉妬と羨望、掛け替えのない出会いによって得た宝物のような思い出。それらを土台とした演技こそ個性を打ち出した唯一無二のもの
愛は恋を理解しきれなかったが、ジュリエットを演じきり称賛を得た。なら、同じように天啓を得たさらさがどのようなティボルトを見せつけるのか、次回が楽しみだね