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とても良い

落ち延びる平家に母を求めるびわ。どちらも自身が安心できる場所を探して道を行く。でもその実、探しているのは道そのものではないかと思えたり
場所を探す旅がいつしか、道を探す旅へ。道を探す中でこれこそが自分の道だと言えるものを手にする。それは同じ場所に留まっていたら見つからなかったものなのだろうな……

びわを同道する静達。彼女らの姿は維盛達の姿を思い起こさせるものでありつつ、びわに自由な生き方を誘いかけるもの。この時、びわには二つの道があったわけだね。しかし、びわが行くのは母探しの道
平家の道でもなく、白拍子の道も選ばなかったびわ。だから多くが見えても何も出来ないまま

道の果てに居た母は別の名を呼び、びわを捨てていた。それはびわにとって続き有る道にならない
けれど、母はそこで別の道を示したわけだね。赦しを求めず、むしろ感謝を。返すようにびわも母を赦す。だから新たな道として何も出来なくても祈る道が見つかる
見えるびわだからこそ出来る祈りの道

どんどん落ちぶれる平家を太宰府も受け入れない。昔の縁を引き合いに緒方を責めた資盛だけど、緒方も道を選べない立場。法皇には逆らえない
それは清経にとって道が閉ざされたようなもの。清経が探す道は井戸にも泥の中にもない
入水する際に手を伸ばしたのは、道に関係なく飛べる水鳥を羨んだからなのかもしれない

道を見つけられなかった平家が漂うは海上か…。対する義経が道なき道を通り平家を攻めるのは印象的
我らが戦うと誓った清経と敦盛。けれど清経は戦わずに死んだ。なら残された敦盛まで戦わない道はない。敵将に首を斬るよう勧めた行動は武士らしく、同時に清経への餞であるように思えてしまった……

清経と敦盛を思わせる並び飛ぶ水鳥は何処まで飛べるのだろうね……



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