最終回は怪人や島の正体より、本当と嘘の在り方に比重が置かれていた印象
平穏を保つ為であれば、上位存在による真実の隠匿は許されるのか?
システムに拠って真実を管理する島から弾かれたユーレイが神に反抗する物語だったと言えるのかな?
本当と嘘を操るインジャンクションジョーが語るのは人間に心など無いという冷淡な真実
対して、反発するベリィが語るのはひたすらに『感情』。そこにロジックはないけど、それだけにピュア
また、ハックが語るのは他者の真実を受け付けない、自分が見た真実だけを真実とするピュア
ハックが新たな神になる展開は驚きだけど、自分が見た物を真実とする『主観』の彼だからこそ、上位存在が真実を押し付ける形にならないのか
ハックの認識が押し付けられるのではなく、それぞれが見た物をそれぞれが本当と嘘を認識させる形なのかな
管理社会を脱し自由社会へ
視界を自由自在に変えられるけど、同時に管理もされる社会構造が描かれた本作
最終的な着地点は割とストレートなものだったような
見た目や景色をデコで偽るのは良いけど、それに夢中になって見るべき物まで偽っては元も子もない。そういった主張を感じられる作品だったかな
そういや、ずっとハックを男だと思っていたんだけど、仮想世界の様子を見る限り、もしかして女の子だったりする?それが最終回一番の驚きだったりするのだけど……