私はこの回を見る為に『戦国妖狐』を好きで居続けたのかもしれないと思える程に満足感を得られる回でしたよ
人か闇か曖昧な己を生きて、時には人間と認められ時には化け物と恐れられ。多くの迷いを内包する千夜が辿り着いた境地は作品のテーマ性を表したものであるように思えるだけにこの感動はひとしお
人や闇が共存する世界である為に登場人物は己が何者かを問い続けてきた
道錬は霊力も無いのに神雲に勝つ為に化け物のような姿まで登り詰めた。断怪衆の僧侶達は戦線に加勢する為に何か変な兵器まで持ち出した
他の者達もこの決戦場に辿り着く為に己を高め続けた
それらは己の在り方を突き詰めた究極の姿
千夜は己が何者であるかを問い続け、時には多くの人から差し伸べられた手によって救われてきた
救われた彼だからこそ命すら危うい戦場で多くの命を救おうとする。でも、対象の闇達は彼に害意を向ける
戦っているのか救っているのか曖昧な戦場にて血を流しつつ、笑う彼はもはや戦鬼の如き
でも衆生を救うのは鬼ではなく仏のような存在となる筈で
千夜の本願を体現する在り方は彼の究極の姿であり、この作品が辿り着いた境地だね
一方でそれは千夜一人だけが無理をしている姿である事に変わりはない。だから千夜へと必死に手を差し伸べようとする者がいるのもまた良い展開
あれだけ力を求めたムドが猩々の酒という力で計れない物に敵わないと無力な彼等を助けようとする光景は目頭が熱くなるもの
彼とて自身の在り方の究極系に辿り着いたと判る
そして間違った在り方へ行き着いてしまった灼岩に手を差し伸べるのはやはりかつての仲間であるべきで
復讐を遂げる為ではなく、仲間を救う為に戦場へ戻った真介の涙にこちらまで涙ぐんでしまったよ…