ほぼネタバレだし、12話の感想です。
2話にしてクラスメイトが怪獣の元凶であることが明かされる。
豪邸の一室を汚部屋化し怪獣に囲まれ、カーテン閉め切ってPCの前で生活しているというわかりやすい病み具合。
扉を廊下から映した画面を見たときに、金八先生(兼末健次郎編)の衝撃が思い起こされた。
彼女は倒すべき敵ではなく、あの部屋から救い出す対象で、これはそういう戦いなのだと。
この一点を丁寧に積み上げ、見事に着地させてくれたことに感動。そして感謝。
現実に心を引き裂かれる悲鳴の代弁が共感された時代から、
現実をシャットアウトした世界で無邪気に遊ぶことで、自分の心を守るためのアニメが多い。
だって、本当は自分は一人だし、心を壊される恐怖は変わらない。
外で戦えなんてそんなお説教は誰も聞きたくない。
作家が「キャラクターが勝手に動き出す」というのを目にする。
自分の作った世界の中でなら、気に入らないもの、辛い日常は怪獣が壊して作り直してくれる。
何度もやり直しているうちに、六花という理想のキャラクターを生み出した。
心地よい距離間で、素の自分を出せ、自分の意思を持っていて、間違ったときには叱ってくれる。
そして最後は味方になってくれる。そんな親友。
彼女を中心に「キャラクターが勝手に動き出した」ようにも見える。
物語の登場人物は全員が作家の一部だと聞いたことがある。
世界の修繕を阻まれたアカネは、六花たちと対峙しなければならなくなる。
これは自分と向き合うことでもあったのではないか。
最終的には自ら生み出したキャラクターから気づかされ、励まされ、
自分の意思で外にでて戦っていくことを決意するという流れに、私の涙腺が決壊した。
自分の理想だと思っていた世界で孤独を深めていた彼女が求めたのが六花であったが、
それは正面から向き合ってくれる他者であり、これまで排除してきたキャラクターも自分が向きあわなかった自分だったかもしれないと気付いたのではないだろうか。
残念ながら私は25年前のグリッドマンを知らないが、今回の復活劇には感慨深い気持ちになった。
ヒーローものを卒業し、彼らを忘れてしまった後も、ずっと世界を守り続けていてくれたということ。
そして、大人になっても、逃げたり、ウジウジしている自分を、また救いに来てくれるんだということ。
ヒーローになれるのは、運命だとあきらめず、自分の意思で勇気を出して行動する少年少女であることは変わらないのだけれど、
そんな素敵なヒーローたちが今でも戦ってくれていると思うと、少し勇気がもらえた。
アレクシスさんのやっていることはキュゥべえでと同じであり、そのまま私たちのことでもある。
数多くの美少女の情念を食らって自分の空っぽの心を満たし、
もうここには何もないと次々アニメを渡り歩く我々は、アレクシスさんのことをとやかく言えるのだろうか。
我々が不足感を満たすために使い捨ててきたキャラの中にも、助けを求めていた人はいたのではないだろうか。
アカネくんのように彼らと向き合えていただろうか。
たまにはそういう反省をしつつ、内部崩壊をおこしたり、正義のミカタにぶん殴られないといけないね。