シタラとオゴタイによる、「星が巡る理由」の問答が興味深かった。
オゴタイは、シタラの考え方を否定することなく、語りかけるようにモンゴルの考え方を披露する。
その姿からは、相手を否定するのではなく、自分たちの考え方にも理解を求めようとしているように見えた。
もしかすると、オゴタイが理想とする新しいモンゴルの姿は、「科学」も「カムたちの語る精霊」も、あるいはもっと他の考え方も否定せず、さまざまな考え方を持つ人が共存できる世界なのかもしれない。
一方のシタラはオゴタイの考えを否定し、本に書いてあることこそが正しく、他の考え方は間違いだと語気を荒げて断言する。
シタラからすれば、相手の考えを受け入れることは、土地だけでなく知識までモンゴルに侵略されるような感覚があったのかもしれない。
あるいは、知識は自分が生きていくための術であり、その知識を否定されることは、自分の存在価値まで否定されるように感じたのかもしれない。
いずれにしても、シタラの言葉が誰かに響いたようには見えなかった。
シタラはこの問答を通して、知識を持っているだけでは人を動かすことはできないこと、自分が未熟であること、そういったことをまざまざと感じたのではないだろうか。
その後、叫び声を上げて大の字になって寝転がるシーンや、ドレゲネと決意を新たにする場面での「ちっとも賢くありません」という自己評価からも、それがうかがえる。
この問答は、シタラにとって復讐の目標であるオゴタイの存在の大きさを示すとともに、シタラの復讐者としての現在地を、如実に浮かび上がらせていたように感じた。