本日の夜実況。
亜久里の、おばあさま(茉里さん)との関係を描いた回はとてもよい。
このシリーズは次回まで続く。亜久里の生い立ちを説明する為にどうしても必要な回なのだろうけど。
シリーズを通しての意味を踏まえて、レジーナがケーキに槍を突き立てるシーンは印象深い。
さすがのマナも、この侮辱は叱らないといけない。
あとまこぴーも、亜久里同様に自分の不幸な境遇を、ほんとにさらりを語るのだが。
両親がこの世にいないこと、まこぴーにとってはもう終わった話なのだろうか。王女がいたからさみしくなかった言ったが、まったく強いな。
少し過ぎたけど、 #釘宮理恵生誕祭 として視聴。(一応ネタバレ指定)
キュアエースへのお祝いだと43話を観ることが多いのだけど、今年は誕生日つながりで直球の42話を選択。
「誕生日が設定されてないキュアエースの誕生を祝う」という、リアルもまさに本編と同じ様な状況だ。
亜久里のバースデーケーキ(マナパパに教えられながら、これを作ったのは真琴)を、憎々しい表情を向けながら光の槍で突き刺したレジーナ。
誕生を祝われている亜久里にレジーナが苛立ちを感じているシーンに、この回の脚本を直々に書いている、シリーズ構成を務める山口さんの意図を感じる。周回勢にはご存知の通り、レジーナと亜久里は同じプシュケーから生まれた同一人物に近い存在であり、誕生日がわからないのはレジーナも同じなのだから。
「パーティに誘われなかった」自分を「眠れる森の美女」に喩えた台詞にも、同様の意図が繰り返し込められていそう。
関連して、まこぴーが「自分は孤児である」という出自を告白する、実はまこぴー推しのファンにとっても外せないのがこの回。
自分と王女の間ある様な肉親同然の関係が、茉理と亜久里にもあると言うが、同じ道を通ってきた人の言葉には説得力がある。(ところでそのまこぴーは、自分の誕生日が11月4日であることをどうやって知ったのか?)
幼いまこぴーの作画が妙に印象的だと思っていたら、作監は幼女作画に定評のある河野宏之氏。まさか、このシーンの作画の為に彼は呼ばれたのか!?
この回は十分に良回と思うけど、ひとつ苦言があるとすればアバン。夢オチとなる、王女とキングジコチューの対決シーンだ。
王女とキングジコチューの関係は後付けと思われ、それ自体は悪いことではないけど、この設定を踏まえて観ると不自然な(微妙に矛盾する)台詞が序盤には多くある。しかしこの終盤、矛盾に対してフォローがされているわけでもない。
近日、ドキプリの夜実況を始める予定があるから、詳しくはその時にでも。
本日の朝実況。
キングジコチュー、王女、そしてキュアエース。
ラスト直前の駆け込みではあるけど、このあたりの関係をほのかに臭わせる。亜久里が自分の誕生日がわからないのも、実は無関係ではない。どんな事情があっても、本当はいつなのかわからない誕生日を皆が祝福するやさしい世界。
誕生日への祝福を受ける亜久里に嫉妬し、侮辱するレジーナ。亜久里とレジーナが相容れない関係であるという、少し後の展開にもつながっている。本当のことを言えばふたりが戦う必要は全くなかったので、この回でのやりとりが和解につながればなお良かった。
真琴の生い立ちに関する設定も、大事なことなのに本人の口からさらっと語られる。
今までダビィだけが知っていたであろう境遇について、打ち明けることが出来る関係になったことを嬉しく思う。
亜久里が養子……アン王女やキングジコチューと何か関係があるんだろうけど、覚えてないw アン王女の魂がアイちゃんと亜久里に別れたとかだった気がするけど、違ったかな……。
マコピーの生い立ちも泣ける。王女が身寄りのない子供達を日頃から慰問していたことを伺わせる描写と相まって。
複雑な事情を抱えた子も案外近くにいるものだということを提示した回でもある。
前回、前々回のマコピーとありすの愛あるアプローチがレジーナにボディブローのように効いてきている。人をすぐに説得するのは難しくても、誠意ある働きかけには意味があるっていう。
ヤンチャするイーラをキュアダイヤモンドがお仕置きしたのも以前の伏線が効いてておねショタみがあってよかった。
ええなぁ。レジーナがケーキを串刺しにしたときは思わず胸が傷んだよ……
亜久里ちゃん、アン王女の記憶を追想できるということは、アン王女自身なのでは?????という感じがするが、どうなんだろう。
水晶体で封印されているアン王女はダミー……?
亜久里の誕生日回。
おばあちゃん、誕生日が無かったら付けてあげましょうよ……
というか、いつ頃養子に来たんでしょ。1年は経っていない感じなのでしょうか。
また、毎日アン王女の夢を見る亜久里。
うーん。トランプ王国関係者でジコチュー侵略時のゴタゴタでこっちの世界に来てしまったとかでしょうか。