総力戦。
アムロはガンダムに思い入れあるだろうに、手段としてちゃんと使ったな。
シャアは完全に目的が変わった。ザビ家はついで。
シャアも最後にガルマ言うあたり。首ぃ・・・。
ニュータイプ万能すぎない?もはや神じゃん。
ホワイトベースよくもったなぁ。なんで増産しなかったんだ。
しかし昔のアニメらしい終わり方。後日談を描写しないあたり。だがそれもいい。
たらればだけど後々の話で話数が大幅に減ったとの話を見たけど、フルだったらどうなったんだろう。
きた!「たかがメインカメラをやられただけだ!」
セイラもシャアの存在を感知できる、ニュータイプなんだよなぁ。
アムロとシャアの舌戦は中途半端ながら、名場面ではある。戦争がララァをニュータイプに覚醒させたというシャアの言説は確かにアムロの言う通り、一つの理屈に過ぎない。アムロ自身も戦闘経験の蓄積と共にニュータイプの資質が発現したけれど、戦争とニュータイプ覚醒の因果関係が証明されているわけではない。さらに、シャアの理屈が正しいとしても、ララァをニュータイプの資質があるからと言って戦争の道具にして良いということにはならない。シャアは妹であるセイラには戦いが似合わないと言い、ララァは戦争に巻き込んだわけで。
シャアはジオン公国亡き後はニュータイプの時代が来ると言ったが、これは父ジオン・ズム・ダイクンの思想を継承しているのだろう。さらにシャアは、戦争にニュータイプを武器として使うことは止むを得ないと割り切っているが、そこが決定的にアムロやセイラと相入れない。アムロはまだ少年であるが、これまでの戦いの中でヒューマニズムを捨てなかった。それはニュータイプであろうと普通の人であろうと、人間としての価値は等しいという博愛精神に繋がっていると思う。
「僕にはまだ帰れるところがあるんだ。こんなに嬉しいことはない」
このアムロの最後のセリフは、アムロが決して孤独ではないことを示していると思う。さらに、シャアがニュータイプを特別視したために孤独であることが対比的に描かれているとも思う。(だから突出したニュータイプであるアムロを同士に引き入れようとした)
シャアはキシリアを討ってザビ家への復讐だけは果たしたが、消息を描かないあたりが心憎い演出かと。
もう少し余韻のある最終回であってほしいとも思うけど、当初予定していた話数を大幅に削らねばならない事情があったとのことなので仕方ないかと。
いずれにせよ、これがファーストガンダム。40年余り前の不朽の名作であることは疑いようがない。
これは当時の子供には難しいわな……
これまではあり得ない程の頑丈さを誇っていたガンダムやホワイトベースがあっさりと壊れていく描写に最終回だな~とは思うけど、やっぱり壊れ過ぎじゃない?あと駆け足感がヤバイ
アムロは本当の敵はザビ家の棟梁でそれを倒さねばと言っているのに、それが本来の目的であったはずのシャアはもうついでの事と切り捨てているのは、ニュータイプの発生やララァ・スンの死によって二人の関係性が大きく変わってしまったからか。それにしてもシャアはアムロのことを危険視して一度は殺そうとしたのに戦った後には同士として引き入れようとしたのは何故だろう?
そういや復讐者が最後の瞬間に相手に素顔を晒すのは定番ネタなんだろうか?
帰る場所がもうなくなっていたシャアは復讐に終わるしか無かったが、同じように故郷も家族もなくしていたはずのアムロは長い旅の間にホワイトベースが帰る場所になっていたんだなぁ