孤独の中で何も信じられなくなったアカネと、それを追おうとする六花
アカネは六花を関係ないと突き放そうとするけれど、六花は「私は友達だと思ってる、だから全然関係なくない。」と迫る
そこでアカネは言い放つ六花は私の友達として設定されたという台詞は、六花へ向けた言葉以上に自分に対して、自分が生み出したツクリモノの世界の中で私は本質的には孤独な存在なんだということを突き刺すようだった
それでも六花の「私はアカネの友達、それ以外に生まれてきた意味なんていらないよ」という返答と「アカネはどう思ってるの?」という問いがアカネが目を背けていたもう一つの事実を直視させる。
空虚な偽物の世界かもしれないけど、それでも確かに六花たちとの満ち足りた記憶の断片もあって…それで充分じゃんという思…………
そんな真人間みたいな感情、アレクシスは許さない
今度はアカネ自身を怪獣にする
もう怪獣は作れない、もう日常を壊せないと言う彼女を怪獣という日常を破壊する存在そのものに変えてしまう
もう人ではないソレは永遠の孤独の存在
EDで描かれるような二人隣り合った日常は手に入らない
キミと同じ景色も見れない、キミの隣にもいられない、最後までこの世界に私を繋ぎ止めてくれていたキミとの繋がりも失ってしまう………………
みんながそれぞれの使命に駆け出す一方で、一人残される内海
彼が自身を一般人代表だというように、彼に特別な何かはない、自分だけができる使命も役目もない……こんな一大事に何もできない無力感と悔しさ、虚無感だけが募っていく
その一方で、自分の真の正体はグリッドマンそのものだと気付いた裕太は輝いていた
確固たる自信と勇気を持って、やるべきことをやらなければならないと立ち上がる決意と意思が貫く強さを感じ、憧れや羨望はたまた悔しさなのか、涙がどうしようもなく溢れてくる