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とても良い

安徳天皇は難産だったようで。おそらく史上最も厳しい受難に遭った帝。
重盛はやはり平氏の良心であり命綱だった。彼が早逝しなければ、平家はそこまで悲劇的な末路を歩まなかったかもしれない。ただ、滅亡は免れても衰退を回避できない趨勢があったとは思う。
後白河法王が歌った「遊びをせんとや生まれけむ」は、院自らが集めた今様の歌集「梁塵秘抄」にある歌の一節。「遊び」はダブルミーニングで娯楽と遊女(白拍子)の夜伽が重ねられていると言われている。何のために生まれてきたのかという問いに対し、子供のように楽しく遊ぶため、もしくは春をひさぐため、と、平安末期のデカダンが込められている。
びわにとっての重盛は第二の父にして最も気心の合う人物、失うのはつらいよなぁ。そして重盛の目を継いだ。
原典の平家物語では清盛はひたすら驕る平家の象徴として悪く描かれているけれど、日本史的には退廃する貴族政治から武家政治の端緒を切り開いた点で革新的な人物であるとも言える。ただ、平氏は朝廷内で地位を確立したことで内外の恨みを買うことになり、源氏は鎌倉に幕府を開き朝廷と距離を置くことで武家政権を軌道に乗せた。古代と中世の境い目、時代の大転換期を平家物語と吾妻鏡は描いている。



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