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とても良い

やはり、袂を分かつとは昌平君が呂不韋を見限るという意味だった。
昌平君はそもそも楚の公子であり、王の血族。彼から見れば呂不韋は傑物ではあれど王の器ではない。
呂不韋の最大の過ちは自らの身の程を大きく見積り過ぎていたことにあると思う。呂不韋には本質的な大義がなく、真に慕う有力者はほぼいない。真の人望なき者が血脈を越えて王位に就くことは不可能に近い。始皇帝の死後、漢の高祖となった劉邦は庶民の出の侠客だったが、義に厚く人望高い人物だったとされる。
史記ではこの咸陽での戦いについてはあっさりした記述しかない(そもそもこの反乱に呂不韋が絡んでいることを示す記述もない)ので、大きな戦ではなかったと思われる。けれど、キングダムでは大きくドラマティックに扱っていて面白い。しかも、政に大恩のある蕞の兵に信が檄を飛ばすラストもさすがだ。よく練られていて熱い展開だ。



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