ラファウが地球の自転と公転の可能性に気づいたのは、コペルニクス的転回の思考。
地球を動かす指示を出したのは誰かという考え方は、万物とその運動原理の創造を神が行い、文明の発展は人間によって行われたとする理神論に近い。
18世紀でも多くの学者が理神論者だった。
思想史的に、キリスト教世界で神と自然が切り離されたのは意外と最近の話だと言える。未だに切り離せない人も大勢存在する。神を創造主だと信じている人は欧米にまだ多い。科学を劇的に発展させながら、まだ理神論的な価値観を抱えているのが欧米、キリスト教世界。
天文を学ぶと宣言してしまったラファウ。
仮に撤回しておく方が賢明だよね。
異端審問官は未成熟な文明の膿みのような存在。
キリスト教は強力な一神教であるが故に、多くの土着信仰を葬り去ったが、教義に合わない学問も葬ろうとした。
が、コペルニクスが「天球の回転について」(地動説)を出版してから少なくとも数十年間、ローマ教皇庁は地動説を否定するどころか、賞賛すら送っていた。ルターは聖書に反するとして否定したが、当時のルター派には地動説を支持する者も多かった。明確にカトリック教会が地動説を否定、異端視するに至ったのはガリレオの宗教裁判の直前期だったとされる。これは、教会側が地動説を聖書に反すると認識するのに時間が掛かったことを示しており、コペルニクスの地動説がプトレマイオスの当時としては優れた天文学体系を数理的に修正した点で優れていると知識人達に認識されていたことが関係していると考えられる。要は、教皇庁のお偉方が、新しい天文学をすぐには咀嚼出来ず、教義に反するという認識を持てなかったのだと思う。