独善的な主人公はいつものことなので置いとくとして、問題は陽太とすごしたひなの人格は身体に宿るのか装置にあるのかという話か。
ありがちな展開としてはひなの視点で装置を付けられる前、陽太と過ごした日々、装置を外された現在がアルジャーノン的に語られることで「陽太と過ごした人格=ひな自身」という証明が視聴者に対してされるってやつかな。
逆にアンドロイドものだと、ボディはこわれても保存されてたAIが新しいボディに移植されてHAPPYENDってオチもある。
「現実的」には生来の人格と装置が合わさってできた新しい人格が陽太と過ごした人格って気もするけど。
創作における人格(魂)の所在なんて作劇の都合でいくらでも変わることよね。