あの状況で鳴海が一命をとりとめた点が納得出来ないのに加えて、瀕死の状態でアメリカに移動している状況が理解できない……
鳴海が抱えるゾナハ病は特殊な病として描かれてきた。しかし鳴海と同じゾナハ病患者は他にもいて、しかも「真夜中のサーカス」なる団体がばらまいてらしい。
これまでの物語は鳴海が特別な事情を抱える勝としろがねに無関係ながら関わっていくという構図だったが、ゾナハ病の事情を見るにもしかしたら彼も人形遣いの世界と全くの無関係と言う訳でも無いのかもしれない
重症を負ったことで記憶を失ってしまった鳴海。しかし、これまでの経験を失った訳では無く子供に怖がられれば咄嗟に型を取ってしまったりと覚えているものもある。
今回はそのように、変貌しても変わらぬ本質はあるという点がよく描かれていたように思う
医者でありながら薬に頼りボロボロとなる姿を鳴海は批判するが、実際は辛い現実を知りながらも子供の前で笑顔になるためにしている事。薬に頼る姿は異様であっても子供を治したいという医者の本質は失っていない
さっきまで笑顔だった子供が呼吸器を取り付けられた様子、ゾナハ病が進行した子供達が地面に並べられる光景は筆舌に尽くしがたく、最早治療を諦めるしかないように思えるが子供たちが守られるべき存在である本質は変わらない。
そして何よりも本質は失っていないと思わせたのは鳴海の在り方。
第一話で鳴海が一旦別れた勝に再び関わる気になったのは列車事故の惨状を見て、これからもこんな事が起きると知りながら人を笑わせるなんて出来ないと感じたから。今回もゾナハ病の子供達の辛い現実を知ってしまった彼はゴリラの真似をしてと言われても上手く出来ない。笑わせられない
だから鳴海は勝に関わると決めたときと同じように自分が戦い、ゾナハ病になる子供を減らす決意を固めたのだろうね
なにはともあれ復活した鳴海が勝達と再会できる日は来るのだろうか?