琵琶丸は力を求めて行き着く先は修羅鬼神、かといって力を持たず争わずでは仏や情けの道。どちらにしても人では無くなると言う
また、百鬼丸と多宝丸は奪う側か奪われる側かを争う。二人も争う内に人では無くなりつつある
多宝丸達が持つ目や腕は自分の物だ、なのに何故取り返す邪魔をすると叫ぶ百鬼丸。対して百鬼丸が体を得ることで醍醐の平和が奪われると刃を向ける多宝丸
百鬼丸からすれば醍醐は奪った者であり、自分は奪われた側。多宝丸からすれば百鬼丸は奪う者であり、自分は奪われそうな側。
互いに相手が持っている物を自分の物だと思うから、相手から取り戻すまで戦いを止められない。極端に振り切ってしまった二人はもう自分を止められない。
百鬼丸達は相反する関係としてこの構図が当て嵌まるけど、奪い奪われると言うなら武士と百姓にも当て嵌まる。
武士はいつも理不尽に奪い、百姓はいつも奪われる側だった。
ただ、今回どろろと縫の方が別の価値観を提示したのは印象的。
どろろは百姓も力を付けるべきだと訴えながらも、同時に力よりも心持ちだと訴える。縫の方は子を失うか国を失いという場面で母親として多宝丸と百鬼丸のもとへ向かうと宣言する。二人は奪い奪われる関係から脱却しようとまず行動する
以前から多宝丸は甘い部分があり、国を守るか陸奥と兵庫を守るか優先順位を決められていない場面が多々有った。その甘さが今回の喪失に繋がってしまう
二人よりも国を優先すべきであれば前回の戦いの時点で二人を庇うより百鬼丸退治を優先すべきだったし、二人を守りたいなら百鬼丸の腕を二人に移植するべきではなかった
多宝丸は奪う側に徹しようとするが、その行動は奪う側に徹しきれていない。だからどっちつかずの多宝丸は二人を失ってしまう。
最後に取った二人の手は百鬼丸の手になってしまったのはなんて皮肉なんだろうね
この戦いで多宝丸が失ったものはあまりに多すぎる
また、今回の戦いで百鬼丸は腕を取り戻すが、どろろはまだ戻ってこないし、多くの命を奪いすぎてしまった。その行動は彼を人から遠ざける。それは樹海もどろろも琵琶丸も懸念していたこと。遂に百鬼丸は「人とは何だ」と自問せざるを得なくなる
取り戻した側である筈の百鬼丸もこの戦いで多くのものを失ってしまう
どろろと縫の方が多宝丸と百鬼丸を止めるためにどの様な行動を取るのか、最終回が楽しみで仕方ない