人面蜘蛛やら兄蜘蛛を見て、善逸は泣き叫び逃げ回っていたけど、ちびらなかっただけ偉いと思ってしまうよ……
あの光景は怖いよ…。ホラーだよ……
那田蜘蛛山のエピソードにおいては「振る舞い」が重要なキーだと思っているんだけど、それは自意識的なものだけでなく単純に人からどう見えているかという点も含まれる
人から見える面では伊之助と善逸は正反対の振る舞いをする。どう見たって血だらけなのに怪我してないと強がり下山を嫌がる伊之助。鬼殺隊士でありながら鬼ですら無いただの人面蜘蛛に怯え木の上に逃げ込んでしまう善逸
振る舞いが正反対だから周囲の対応も全く違ったものになる
炭治郎は強がる伊之助に包帯を巻き、父蜘蛛からは庇う動きをする。強がりすぎる伊之助をフォローしようとする
泣いて逃げてばかりの善逸に対して、師匠を先生と呼ぶ少年は善逸に消えろと言葉をぶつける。兄蜘蛛は善逸を腰抜け、大したこと無いと蔑む
己の振る舞いはそのまま周囲からの評価や対応に繋がる
けれど、善逸がどんな姿を見せても対応を変えなかったのが師匠。
彼は善逸がどんなに泣き喚いても逃げても結果を出せなくても対応を変えない。「一つのことしか出来ないならそれを極め抜け」と善逸に諭した師匠はその言葉に沿うように善逸がどう否定してもあの少年が嫌味を言う状況でも善逸を鍛え続ける。一つの振る舞いを続ける
なら、善逸も結果を出せなくても怖くても泣きたくてもたった一つの振る舞いを続けたくなる。師匠の自分にかけてくれた時間に応えたい、覚えられたたった一つの技を極めたいという一心が無意識の善逸を突き動かす
その果てに魅せた霹靂一閃六連は凄まじい迫力。その見に纏う雷光も格好良いが、兄蜘蛛に一瞬斬られたと気付かせなかった程の神速は惚れ惚れとする
これは一つを極め続けた善逸でなければ魅せられない振る舞いだろうね
炭治郎達が見られなかったのは残念だと思えるほどのもの
いつも泣いて逃げてばかりの善逸。そんな彼は頼りないし多才ではないけれど、人から向けられた想いに一生懸命応えようとする優しい少年であることが伝わってくるような回だった