歪んだ形の聖杯戦争、その下で繰り広げられるは英霊たちの戦いではなく間桐桜による暴虐。これは完全に悪の所業であり、正義の志を持つ者であれば退治の対象としなければならない相手。けれど、正義の味方を志した衛宮士郎は桜だけの正義の味方になることを選んだ
だから本作で描かれるのは悪を誅する物語ではなく、一人の少女を救う物語。もっと言ってしまえば残酷さと優しさに満ちた恋愛物語と表現しても良いかもしれない。そんな作品だった
自身を最初から狂っていたと語る桜の行いは確かにそれを裏付けるかのように他人を思い遣らず自分の欲望を満たすための行いばかりであるように見える。姉に手をかけ、士郎を殺すと脅す。多くの人も家族すら殺した彼女に善性を求めるのは難しい状況
だから誰かを救うためには桜を殺す必要が明らかにあって。それは正義の味方であれば絶対に誤ってはいけない選択肢。それは衛宮切嗣であれば絶対に間違えない選択肢であり、彼を目指して正義の味方を志した士郎にとってそれと異なる道を選ぶことは切嗣を裏切るかもしれない行為であり、自身の信念すら裏切る行為
けれど、士郎はどうあっても桜を救う道を選んだわけで。だからこそ劇中で士郎が見出した単純で明快な想いが尊く輝いて見える。正義の味方だから桜を守るのではなく、大切な人だから守りたいという想い。それはより多くの人を救うとか、どちらの道を選ぶべきとか、そういった選択が当てはまらない考え方
また、終盤で桜が語るように、桜がこれまで歩んできた人生には狂わずに居ればそれこそ理性を無くして狂ってしまうような事情があった事も明かされる。
この瞬間から正義であれば悪を倒さなければならないとかそういった物語構造ではなく、一人の少女を救う物語へと変貌する。その転換方式は素晴らしいね
そのためか、その辺りのバトル描写は称賛の声を上げたくなるものばかりだったよ……
凛と桜の対決では圧倒的強者として君臨していた桜をただ普通に強いだけと定義し、最後は桜が望まぬ形で凛が敗北することで桜を救う道が存在するのだと理解し直すには相応しい戦い。そういった面で見ればこちらは意味を求めるかのような戦い
一方、セイバーとライダーの戦いは超次元の戦いだった……。超火力で押し切ろうとするセイバー、それに対して超高速で翻弄するライダー。見ているこちらは呆然と戦いに見入ってしまう、それ程の超次元の戦いであったし、最後が士郎とライダーのコンビプレーで終わるというのも痺れるほどに格好良い終幕でしたよ……
そして、本作がシリーズ終章として機能しているために話題となる正義と悪の問題。UBWではよく判らない存在のまま死んでしまった印象の有る言峰綺礼がこうして最後の敵として立ちはだかるとは思わなかった
事件に兎に角首を突っ込んで誰かを助けようとする士郎と事件に矢鱈と関わって事態を混迷としたものに変える言峰。他人の幸福を望む士郎と他人の不幸を望む言峰。こうして並べてみればこの二人のあり方は対局に位置するものが有ったのか
妻の死を悲しむよりも怒るよりも先に自分の不出来を嘆いた言峰、大切な少女の惨状に悲しみ怒りそして最後は叱りに来た士郎。言峰の独善的な愛は問題が有るように思えるけれど、士郎が抱えた愛だって状況を思えば問題が有ると思えるかもしれない。
あの場面では殴り合いに拠って他方の主張を打ち破ろうとするわけだけど、明確にどちらが上であるとせずにあくまでも時間切れで勝敗を決めた辺りに本作が持つ独特さが見えてくるように思える
立ち位置としては対局に位置する言峰と士郎だけど、根本的には似通った部分があるということなのだろうな
ラスト、桜舞う季節に辿り着いた二人だけど、その在り方は平和だった頃とは大きく異なるわけで。それでもいつかのように並び料理をしていた姿からは一番大切な部分を失わなかったのだと感じさせる
聖杯戦争を乗り越えて、辛い過去を乗り越えて安らぎに満ちた家を取り戻した二人の様子には温かい気持ちになってしまう
白線を前に止まってしまった桜。その隣に並び共に踏み出そうと促した士郎。変わってしまったものの中で変わらなかったもの。この二人はこれからも共に歩んでいくのだろうなと感じられるそういう終わり方だった