ライムスキンの覚悟は諦めと本質的には同じという言葉はいいね。この言葉はクトリやヴィレムの抱える想いを表していたように思う
クトリは姉達が散って行ったのを見て同じように自分も幼い子のためにと自爆やむなしの戦闘法を受け入れている。これは覚悟でもあるし諦めでもある。もしここでその遣り方を否定してしまったら姉達の覚悟やその死すら否定することになりかねないからヴィレムと模擬戦をした際はヴィレムの示した新しい道を認めることができなかった
それが変わったのはヴィレムの過去とライムスキンの話を聞いてから。諦めることが覚悟なら、諦めないこともまた覚悟。「実は戦士になんてなりたくなかったんです」「強くなんてなりたくない」と言ったのは、自分の命を諦めず普通の女の子として生きて行こうとする覚悟を示しているように思えた。
ヴィレムにとってクトリたちと関わり続ければ養育院の思い出と向き合う事態を避けられないのだけど、以前の大戦で救えなかった人達のことも同時に思い出してしまうから死に向かおうとしている彼女たちを放っておけないのだろうね。
負荷の大きい聖剣を握ってまでクトリたちに生きる方法を教える姿からは、あの島へ来るまで諦めたように生きていた姿は感じられないね。クトリが生きて帰れば何でも言うことを一つ聞いてやると言い、バターケーキを作る約束をしたヴィレムは彼なりに覚悟を決めたのだろう
雑多な願いを込めたタリスマンであっても集まれば相互干渉し合い聖剣になるように、忌まわしき種族であるヴィレムと使い捨ての命であるクトリが相互に関わることで、どうやって互いの心や命を救っていくことになるのか非常に楽しみ