だだっ広い大河の部屋を見た時のふとした川嶋の表情にこだわりを感じる。しかもそのこだわりは、コンテキストなしで伝わってくるものではなくて、コンテキストがあって初めて、その表情のシニフィエを意図されたものとして視聴者に呼び起こすようなものである。キャラクターを描くとはこういう事だよな。
こういうのを言葉にするのは野暮ってもんだけども。
櫛枝は本当は自分の中の高須への想いに気づいているが、それを認めてしまえば「優しい自分」でなくなってしまう。だからそれを打ち消すための言葉をかけてくれる川嶋に頼るし、今回も北村を好いている逢坂の「ために」動いた。その結果、北村が別の人に想いを寄せていることが発覚し、その事実を目の当たりにした櫛枝に川嶋が放った一言が「罪悪感は無くなった?」。
川嶋は、櫛枝の本質的な弱さ(自己選択することで及ぼし得る影響への恐怖を偽善でもってカモフラージュし、選択しない事を自己正当化)におそらく気づいていて、それが理解できないし、もどかしいのだろうな。少なくとも周りの女子よりは「大人」だが、そうであるがゆえに、自分をそう見做さない高須に惚れる。だから「泣き叫べば救ってもらえるって思ってるやつは幸せ」なんだな。
さやかママwiki見ると本当に2000年代前半から毎年コンスタントにママやってて、もはや毎クールどこかのアニメでさやかママが登場してるのではないかという気に。