公安の連中の振りかざす論理が政府のそれでもあって、ディストピア化の兆しを見せる現代日本を風刺してるようにも感じられた。
デビラとデビロの世界観のスケールすごいなと。前話と同じく、人吉も超人科も為すすべなく事が進行した。土地神や妖怪の類いは人間や超人と棲む世界が大方異なっていて一部だけが重なってるから、捉え所がないってことかな。
宗教かと思ったら違った
しばらくは本編の話は進まずに番外編的なエピソードを重ねるのかな。
爾朗と超人課に超人の自由とは?という真の概念を追求したような話。
そもそも誰かが決めていい話ではなかったんだね!うん、スッキリ!
というかスケールが大きすぎて彼らが扱える対象ではなかったというのが正確。
エンディングのキャスト一覧を見てびっくり。どこかで聞いた声だと思ったけれど、佐倉綾音さんだったとは。
話の方は、なんだかスケールが大きすぎて……人間、いや超人さえも、比べると小さいように感じさせた。
正体がよく判らない、細かい既定がないデビラでさえも超人課の管轄になるという話に疑問を抱く輝子の姿勢は人間の傲慢さを表すとともに最終的に誰かが規定できる存在にはならなかったというラストシーンを表しているようでもある
トンネル事故は本当にただの事故だったかもしれないけれど、そこになにか特別な理由があったのでは?と想像してしまうと都合のいい犯人として超人が上がってしまんだろうな。それもまた人間が超人を管理したいというよりも駆逐したいという意志が見えてくる
デビロはとりとめもない言葉で宗教みたいなものを作りかけたけど、実体的な恐怖であるズナマンの出現により集団は散開。国家公共保安部隊は実態があるからこそ駆逐できると思い、この調子で地下まで支配できると思っていたようだけど、デビラとデビロの正体を見て絶句していたようだね。しかもそこまでの事態もズナマンが我慢したから酷い事態にならなかったという皮肉。
今回のデビラや前回の神様を見ると『超人』は人間に管理できる存在なのかという疑問が生じてしまう。そうなれば結局爾朗のポジションが正しいということになってしまうのかな?
辻真先さんの2本目の脚本。辻先生脚本回は見終わった後に上手く説明できない謎の感動がある。
新宿駅西口地下通路の通路が張り紙なのは、広場の時代にフォークゲリラで集まった人々を排除するため。新宿が好きですよね。