原作由来のようだが「臓物アニマル」とよばれる
内臓が露出したぬいぐるみの言動が醜かった。
主人公や主要な女性キャラクターの描写は秀逸。
これも個人的にリブートしたい作品である。
メインの三人組に用意された新規デザインは目を引く。
特にベラは今風の女子校生で、話題になっていたし
確かに見どころはここだろう。
モブキャラにいやな奴が散見され、
セリフを聞いているとストレスになる。
こういう演出は珍しいものではないが、見かけるたびに
作り手は人間不信なのかと思ってしまう。
敵兵は解放すべきではなかったと思う。
「無礼討ちにせよ!」と喚いて当然のように斬りかかる連中なのだから
野に放てば無辜の民が被害に遭う。
拘束して雇い主の情報を吐かせるべきだったな。
公式画像で「ホントにどうして、こうなった」と
記載されていることから察するに
企画者は今回のリリース形態が不本意なのだろう。
おそらく、原作ゲームの販促目的で
よくあるギャルアニメとして企画したものの
想定した画風で制作できるスタッフを確保できず
言い値で仕事受けてくれる作家で妥協し
デフォルメ多用で制作することになったのでは。
土足で自室を踏み荒らされたら誰でも身に危険を感じる。不法侵入者を警戒して一時転居することの何が問題なのか。薬の成分を調べたか。処方薬や栄養剤の可能性は? 麻薬にも処方薬として認可されているものは存在する。冤罪の可能性あるのにクロありきの対応。結局、二重スパイ疑惑を裏付ける証拠は出てこず。魔女狩りの論理。ふたりは銃の扱いに慣れているはずなのに、眼前で自決を阻止できず。何も解決してないどころか最悪の結末。コントロールは、それでよしとするような組織ということか。ゼルダやジェネラルといった上官が外道すぎて、ヒロイン陣の問題点が矮小化されてる。美人は得だな。
シュールレアリスムを扱うなら
それに徹するべきだと思う。
幼児がいたずらして暴れる場面は
悪い意味で生活臭が漂い、不快だった。
古本の多くは絶版となっており
産業界では「商品価値を失っているもの」として
廃棄物同然に扱われる。
消費者には少量ながら需要があるので
古本市が成り立つのだろう。
本作は、古書の取り扱いについて
ありかたを考える機会になったと思う。
https://ch.nicovideo.jp/angelbeats
https://dizm.mbs.jp/program/angelbeats
https://fod.fujitv.co.jp/title/90gu/
https://www.amazon.co.jp/Departure/dp/B073ZN2GD4
https://animestore.docomo.ne.jp/animestore/ci_pc?workId=20333
https://www.b-ch.com/titles/3733/
https://www.nicovideo.jp/series/96293
Keyブランドのネームバリューにあぐらをかいて商売しているにもかかわらず
公式がステマを続ける、恥ずべき作品。
あまりに指摘したい疑問が多いので、論点を精査し、
いずれ改めて述べるつもりだったが
先日、新作「神様になった日」のPRを行う番組で、企画者らしい人物の紹介で
本作を代表作のように説明しているのを聞き、
やはり書いておくべきだなと思い直した。
これは反省こそすれ、誇るような作品ではないはずだ。
過去の企画の曲はともかく、この作品の音楽は
聴かせる相手への気配りが欠けている。
劇伴を聴くとわかるが、場面が転換するところで時間内に曲を収めず
ブツリ、ブツリと切っている。ムードが台無しである。
演出に必要な感性を備えたプロが監修していないのだ。
ストーリー面の問題点は多々あるが、
最たるものは「戦線」メンバーの異常な行動力である。
「反抗」を題材とした作品に先例はあるものの、
平時の中高生ふうの制服を着た集団が
武装勢力もかくやと思わせる装備を揃え、武装している姿は不気味さしかない。
彼らは、校舎にデストラップを仕掛ける、銃器を持ち出し
無抵抗の者に向けて発砲する、といったテロに及ぶ。
現実世界での行為なら、少なく見積もっても「殺人未遂」の罪状がつく。
事情があれば正当化なり情状酌量できるようなことだろうか。
反抗の発端としている「生徒が消えていく」という話については
頻繁ではないにせよ、現実の学校でも起こりうる事態である。
「○○、学校やめるってよ」というジョークを、
ネット上の雑談で見かけた経験のある人は多いと思う。
校友の失踪が気にかかるなら、原因を探るべきだし、
なぜあの状況で、根拠のはっきりしない推測を理由として殺戮に及ぶのか。
地下世界にあれほどいた協力者は、どうして彼らに手を貸せるのか。
生徒会による戦線メンバーへの成敗は、相応の処置に過ぎず
「死後の世界」という物理法則の異なる世界で起きたことでなければ、
劇中の出来事によって主要人物は全滅しているはずだ。
あれほどの人数がいて、なぜこういったことに考えが至らないのか。
結局、終盤に一同誤解していたことが判明する。
これらの行為が、もし有象無象によって行われるならともかく
「彼らを主役の側で登場させたこと」が、
いかなる意味を持つのか考慮すべきだと思う。
視聴者は、本作を娯楽として笑っているのではなく
戦線メンバーの軽薄さを嘲笑しているのである。
別作品のレビューでも同様のことを述べたが、本作の長所を挙げるとすると
「美少女の絵」に尽きる。ほかの要素は添え物でしかない。
Key作品の売りであるはずの音楽に魅力がないのは何故かというと
作り手が自己の技量でなく、マニュアルで仕事をしているからだ。
Keyブランドの隆盛は、作画および「外部の」コンポーザーといった
職人の才の賜物なのだと察せられる。
協力者の才能で成功を収めて、間違った自信をつけた作家の暴走にも
プロとして要求に応え、おもに作画面で企画を支えたスタッフには
敬意を表したいと思う。