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「窓ぎわのトットちゃん」、原作はそれこそ小学生の頃に読んだような記憶があります。読んで子供心に、こいつやべえなと。おてんばな女の子はフィクションではよくあるけれど、これがあのテレビに出ている黒柳徹子さんの実話だったのかと思うと、すごい小学生がいたもんだなと。自分はすでに完全に陰キャまっしぐらだったので、こんな風に破天荒なトットちゃんも自由すぎる学校も、うらやましかったような記憶がかすかにある。ただ、細かいエピソードなんかは完全に忘れてました。

だから今回映画を見て、想像以上に戦争の色が濃いことに驚きました。もちろん映画独自の脚色はかなりあるだろうけど、思ったより重いな、と。でも決して子どもが楽しめない作品じゃない。むしろ、子どもの頃しか見えないあの毎日のなんかキラキラした感じがすごく出ていて、戦争もあくまで子ども目線で淡々と描かれていて、これは親子で楽しめるし、お子さんが大きくなったときに「ああ、そうか」って気づけるタイプの作品だなと思いました。

最近のアニメ映画の戦中戦後の解像度がすごいなと常々思ってました。もちろんそんな時代を経験したことはないわけなんですが、なんかこれまでのいわゆる戦争モノとは違う、肌感覚で感じる何か。「この世界の片隅に」しかり、「鬼太郎誕生」しかり。この作品も確実にその系譜に連なると思います。そして何より、言い方悪いですが「原作がご存命である」というのがすごく大きいです。実話の圧倒的な強さ。

戦前の山の手の上流階級の豊かな暮らし。さすが東急が作った町。ああ、自由が丘の駅前のあの通りだし、大井町線も大井町線だ。全然あんな超上流じゃないけど祖母もこの世界を生きていたのかな、と。鬼太郎の水木に祖父を、トットちゃんに祖母を勝手に重ね合わせて連続性を感じようとする作業。

トモエ学園が超絶楽しそうで、なんかもう夢の学校ですよねあれ。絵のタッチが変わるところ、どれもすごくよかった。自分も夢想癖があったから電車の教室のシーンは本当に楽しかったし、プールのシーンは多分原作のいわさきちひろさんの画風のオマージュですよね。悪夢のシーンは米国南部の綿花畑で。

泰明ちゃんが良いですね。自分はあんな出来の良い人間では全然ないけど、お泊まりのことを親に言い出せず黙ってしまうのがすごく共感した。自分で勝手に諦めてハードル上げちゃうやつ。それで自分も、こんないい年こいて未だに、Twitterの友人達に手を引っ張られて木の上に上げてもらって、見えなかった景色を見せてもらってる自覚がある。だから本当に嬉しかっただろうなってすごくわかりますね…

泰明ちゃんが中川翔子さんの祖母の従兄弟で、徹子の部屋でそれを知った徹子さんが涙されたというエピソードを知って、なんか一気にこの現実世界と映画がつながった気がした。フィクションじゃない者の持つ圧倒的な説得力。物理を学びたいって言ってた泰ちゃんも、その後物理学者になっておられるらしいんですよね。一人一人ちゃんとモデルがいて、確かにあのとき自由が丘に彼らは生きていたんだと不思議な気持ちになる。

高らかに反戦を謳うのではなく、無言で粛々とセカイが変わっていくことを示す演出の数々。駅員さんは女性に変わり、犬が消え、服装も変化し、キラキラしていた豊かな生活がだんだん変わっていく。ああ、戦争ってこういう風にやってくるんだなっていう。数年でこんなにも変わるものかなと思うけど、なんかここ数年の現代の世界の変わりよう(良くも悪くも)を見てると、実際あんなもんなんだなとわかる気はする。徹子さん、よくぞ生き抜いて大事なものを伝えてくれたな、と思う。

ちょっと戦前の絵本の挿画みたいなキャラデザ、良いですね。静止画だとわからないんですが、動き出すとすごい。パンフレットが完全に子ども向けじゃないガチ仕様で情報量が多くて素晴らしかったですw

個人的にすごく良いなと思ったのが、泰明ちゃんのお姉さんがイギリスで聞いてきたというテレビジョンのエピソード。これ、もし実話だとしたら人生の伏線としてすごいし、映画独自の創作だとしても、こういう手つきのネタの入れ方、好きなんですよね。日本のテレビ放送開始初日からテレビに出演し、ギネスに載るほどの記録を打ち立てて世界を平和にする存在になるんだってことを、このときのトットちゃんはまだ知らない。いや、なんか、最高じゃないですか。



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最初に断っておきますが、自分は過去の鬼太郎作品はアニメの主要キャラとか技をざっくり知ってる程度で、アニメも漫画も基本怖くてちゃんと見てないです。水木しげる先生作品は、鬼太郎じゃない何か短編ホラー集と、あとラバウル戦記の一部を読んだ程度。

いやー、凄い(文字通りの凄い)ものを観たなという感じでした。

PG12でポスターも怖いので、どれだけ凄惨なスプラッタかと覚悟してたのですが、個人的には意外と大丈夫でした(進撃の巨人とかのほうがよほどグロい気がする)。いわゆるテンプレ因習村なので、スケキヨさんとか津山の事件とかに怖がってた子供の頃と比べたら余裕で観れた気がする…! でもそうはいってもフラッシュバックしがちな方とかは慎重になったほうがよいかもです。あと人を怖がらせるのが目的のホラーではないので。血よりスプラッタより妖怪より、よほど人の業が刺さる。怖いというより、哀しい。

なんか、ものすごく「昭和中期の映画感」を感じさせてそれがすごく良かったです。古風で早口なセリフ回し、何かと煙草を吸う主人公、往年の社会派ミステリ映画とかを彷彿とさせるような演出と絵作り。普通にモノクロ実写でレンタルビデオ屋とかにありそうな…。だからなんか、アニメを観たという感じがしないんです。妖怪バトルは確実に鬼太郎なのに。

いろいろな見方はあると思いますが、自分はこれを、広い意味での戦争(太平洋戦争だけでなく、「戦後」も含め今に至るまで)に斬り込んだ話として受け止めました。

戦後10年という時代感。あの頃の映画や小説って、初代ゴジラとかもそうですが、ほんとに戦争から地続きで、なんだかハッとさせられるんですよね。ちょうど今僕らが震災から10年後にすずめの戸締まりを受け止めているような、そんな距離感で戦争の痕跡がまだあちこちに燻ってて、そこら辺の誰もがついこないだの記憶として捉えているけど風化しつつある、そんなあの頃の映画と同じ匂いを確実に継承してました。自分はあの戦争はもう伝聞ですら聞いていなくて、伝聞の伝聞か、あるいはフィクションでしか知らない。もう直接戦争の話をほぼ聞けなくなったこの時代に、このゲ謎とか、この世界の片隅にとか、もしかしたらトットちゃん(未見)もそうかもですけど、せめてフィクションの形で少しでも語り継いで行こうという思いのようなものを感じるんですよね。もうこれから先は、フィクションの強大な力を借りるしかない。

こういう感想は、自分が戦争の話を直接聞けていないことへの残念さとかから来ているのかもしれません。水木達が生きてた時代はたしかに自分の祖父母たちがいきいきと過ごしていた時代で、ただ自分はあまり当時や戦時の話を聞かないまま祖父母を見送ってしまった。だからせめてこういうフィクションの中に彼らの生きた時代の空気を探そうとしてしまうのかもしれない。特に、祖父がかつて書いた文章を最近たまたま読む機会があったせいか、南方戦線を経て戦後モーレツサラリーマンとして戦後を生き抜いた祖父の姿を、水木に勝手に重ねて見ている自分がいました。昭和は遠くなりにけり。

水木しげる先生のラバウル戦記(一部しか読めてませんが)がとても衝撃的だったので、単なる伝奇ホラーではなく戦争の思い出を絡めていく本作の姿勢に真摯なものを感じました。村人や幽霊族や沙代、時弥までも利用する龍賀家の狂ったロジックはそのまま戦線での上官のロジックに、そして戦争というシステム全体のロジックにそのまま直結する。すごい怨念の塊みたいな妖怪が大量に出てきましたが、戦争中に無念に死んでいった人達とどうしても重なってみえる。水木の背後に大勢の兵士が見えたみたいに。そして戦争は実は終わってない。日本人は血液製剤で24時間モーレツに働き、その慣習だけは未だに尾を曳いてるのにもはや誰も豊かにならない。未来は明るくなんてない。今の令和の世だって、もちろん世界情勢的にも戦争と言っていい状況になってしまっていますが、軍事面じゃない僕らの社会生活だって結局まだ一種の戦争で、その怨念が日本中に漂ってる。「戦後」、そしてそこから今の令和まで続くこの日本社会は、そんな無数の怨念できっと出来ている。それもふまえてのあの展開なのかな。因習村はあくまでただの縮図や比喩であって。

それでも、子供たちがいるからこそ僕らは世界を終わらせるわけにはいかないのだ。時弥君の思いを受け継いで、次の世代の鬼太郎に託すために。救いのない世界で、それでも救いを見いだして人は生きていく。

なんとなくポスターから水木とゲゲ郎のバディものなんだろうなーとは想像できて、戦争帰りという設定が強みにも弱みにもなる水木と、飄々としてるけどめっちゃ愛妻家のゲゲ郎、という組み合わせは確かにバディとしては鉄板ですね。人と共に生きた鬼太郎のお母さん、かっこよかったな。

妖怪の造形、ちょっと江戸時代とかの妖怪草紙的な塗りになってませんでした? EDのタッチも原作っぽいし、とにかく丁寧に作られてる感じありました。昭和30年代を変に美化せず描いているのよかったです。よくここまで描いたなあという……妖怪ではなく、明治以降の日本社会の原罪みたいなのを。

前半の伝奇ミステリは小物のお約束テンプレ感がかえって安心感をもたらしてくれてましたが、ミスリードや伏線がうまくて、ミステリとして普通にすごくよくできてるんですよね。決して陰鬱なだけの話じゃない。社会派ミステリとエンタメ活劇とのバランスが見事でした。
しかし時貞の胸糞悪さはヤバかったw もうほんとに胸糞時貞に比べれば妖怪なんて全然怖くないですね。人が一番怖いです。CV石田彰な糸目もあれ一種のテンプレじゃないのかw ねずみ男っぽいやつよかったですよね。

あと狂言回しとしての現代のジャーナリストも、冒頭の胡散臭さが最後に大化けして大役を与えられて良かった。そう、これは、あの頃から70年経った今、記録し語り継いでいくべき物語なんだと思う。

パンフも売り切れてたし、もう一度見たいなあ。



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お勧め頂いて、見てきましたー!
Webアニメのほう一応ざっと履修済みだったんですが、未見でも全然大丈夫な作りになってたと思います。

ダンスやべえですね。人体の美というかなんというか、語彙力がなくて説明できないのですが、何か見たことのないものを見た感だけは確実にあります。普通にポールダンス、オリンピック種目とかにすればよいんでは。Webアニメと違ってフルで見れたのでよかったです。ポールダンスをアニメにするのはなるほどなーという着眼点で、今ならモーションキャプチャと3DCGで完璧に描写できるし、ダブルスという種目は百合好きな人は楽しめるし、意外性もある。で、モーションキャプチャ動画観て、あの動きが現実にやれているのみてマジでたまげました。

ミオのコスチューム、あれなにげにダンスの難易度高くないですか? スカート部分がタイトなので足を広げられない。あれであれだけ踊れるの実はすごいんじゃないか。あと、歌いながら踊ってるんですがそんなことできるもんなんですか!?(それとも口パクなのか?)

星をモチーフにした、女子高生が青春に打ち込む系ストーリー、バンドリとかプロセカとかでも王道なやつなので安心して観れます。

見てて自分やっぱチームプレー無理だなと思いましたw 大会の前にみんな自信なくしてお互いに励まし合うじゃないですか。私達がいるから大丈夫、みたいな。あ、この励まし方されると自分は余計プレッシャー感じるやつだなと思いました。スバルがポール離して落っこちかけるところ、あれミオに捕まえてもらってうおおおってなるんですが、自分だったらずっと引きずるなあ。あと審査員も、落ちかけて相方にリカバリしてもらったのは多分テクニカルポイント的なやつ減点しますよね。逆にいえばギャラクシープリンセスのみんなはそれだけ強い心を手にいれたんだなっていう。かつての、体操やってたスバルなら自分と同じ思考に陥ってたかもしれない。それはヒナノも同じで、自分なら舞台の上でチームのみんなが見てるのに気づいたら固まりますw 何回かステージに立ったことあるのでわかるんですが、ステージの上って照明で客席とかが一切見えなくなるから集中できるみたいなところがある。だから、自分が到達しえない境地に達したギャラクシープリンセスのみんながほんとにまぶしいんです。

熊本、八代なんですねー。地区予選が九州だし、高台から見える工場群もちょっと某映画の大分とか思い出してどこなんだろと思ってたので。小さい頃に同じ発表会に出てたということはユカリさん同郷だと思うんですが、予選にいなかったので引っ越したんですかね。

エルダンジュの3人良かったです。ポスターでは全然わかってなかったんですがもう大丈夫ですw サナ姫、なんかよいな。アズミ先生もやっぱ良いですね。くぎゅ、狐面、ぶちかませあたりで反応してたハロワ脳でした



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ポールダンスが普通にすごい。なんかエロダンス的なイメージしか持ってなかったけど、ダンスやバレエのすごいのを見た時みたいな人体の美しさを感じる。思わず画面に見入ってしまう。モーションキャプチャのすごく良い使い方。
お話は映画の前日譚みたいな感じなのかな。先生良いな。北極星の「ポール」とポールダンスの「ポール」、星の円周運動・自転軸と1本のポールをめぐるダンスを掛けてるのが上手いなあ。プラネタリウムでポールダンス!?って思ったけど、ヒナノのあの絵を出したかったんだろうなと思ったらすごく腑に落ちました。映画も気になってきましたー!



咲太の物語、だった。

これまで麻衣さんはじめ、周りの女の子達が思春期症候群、というよりその名を借りた思春期ならではの悩みに向き合い、それを乗り越えていく話が続いていたと思う。その中で咲太は常に、うらやましいくらいのイケメンムーブで彼女達を支えてきた。こちらも安心して見ていられるくらいに咲太は人間ができていた。

本作も咲太の人間力の高さは変わらない。いや、むしろ拍車かかってるかもしれない。だけど、それでもなお、咲太には乗り越えるべき何かがあって、これまでも伏線はあったけどようやく正面切ってそこに切り込んだ作品と感じた。

前作までに咲太が見せてきた人間力の高さ、人としてのイケメン度、それは天性のものとつい思ってしまいがちだけど、そうじゃなかった。飄々として見えるけどその陰には彼の孤独ながんばりがあった。きっとかつては咲太も、親に年相応の反抗心を持った、どこにでもいる男子学生だったんだろうと思う。可能性の世界で、お母さんがお礼を言われておどろいてたことからもわかる。それが、妹と母親がおかしくなって、家族バラバラになって、料理も洗濯も後天的に身につけたのだ。生活していくために。お兄ちゃんとして、妹を守るために。すごいと思う。自分にはとてもできないと思う。

歪な形の家族環境で、咲太は自分が妹の保護者であろうとするあまり、父と母のいない状態をデフォルトとしてきたのかもしれない。誰だって、自分の母親の心が壊れてしまったとしたら、そんな状態を直視したくないし受け入れたくないものだろう。多感な時期ならなおさらだ。それでも咲太はそこでグレたりしないでお兄ちゃんとしての責務を全うしてるわけでほんとにすごいんだけど、その過程で母親を正面から見れなくなってしまったのかもしれない。母親に認めてもらいたい、愛されたいという根源的な気持ちすら抑制していたんじゃないか。だから誰からも認識されなくなったのかもしれないな。

そんなスーパーできる男咲太にも見ないようにしてきたところがあって、でもそれは咲太が頑張るあまりの代償なんだけど、それでもショックを受ける咲太が辛かった。そこでそれに気づいて悩むところはやっぱり咲太だ。

誰にも見えなくなった咲太がお母さんの病室に入って、ここでずっと一人で頑張ってたんだって気づくシーン。この時急にお母さんというキャラが一人の人間として存在感を放ち始めた気がした。今まで奇妙なくらいに作品内で描かれてこなかった母親。それはきっと故意の演出であって、咲太が考えないようにしていたから咲太視点の物語では無視されていたお母さん。だけどお母さんにもお母さんのきっと壮絶な物語があって、苦しみもがいていて。一人でノートにただ思いを吐き出すしかなくて。よく、家族の存在感がまったくないジュブナイル作品って結構多いと思うんですが、それを逆手にとってここで始めて母親と向き合わせるの、すごいと思った。

母親は最初から母親だったわけではない。母親になったのだ。だけどそんなこと、子供の頃には想像もつかない。母親は絶対的な存在だと思い込んでしまっている。母親をただのごく普通の一人の人間として見ること。ちょっとしたことで心が折れてしまう繊細な、だけど必死に「母親になろう」としている、一人の女性として相対化してとらえること。といっても決して他人扱いするということではなく、苦楽をともにする存在として尊重し、大事にすること。それが、大人になった、ということなんだと思う。だから麻衣さんにそう言われて、咲太は泣いたんだろう。母親から離れ、同時に一人の女性と生涯を生きていく決意をすること。思春期の終り。ノート、「保証」、校庭。バニーガール編のモチーフを全部なぞりながら、そこに到達するラスト。「高校生編」の終幕としてこれ以上ない美しい結末だったと思います(まあ咲太はまだ高校生だけど)。

咲太も頑張ってたし、お母さんもこの上なく頑張ってた。花楓も、お父さんも頑張ってた。みんな見えない所で本当に頑張ってたんだよな。家族がそのことを共有できた。それだけでもう、ああこの家族はもう大丈夫だなって思えたし、そんな咲太を真っ正面から受け止めて、誰にも見えなくなっても一人だけ見えてる麻衣さんはもう完全に咲太と新しい家族を築いていけるなと思った。

それにしても「大人になった」ら、今後のシリーズで思春期症候群はどうなってしまうんだろうな。思春期症候群って、なんかちょっと不思議現象、SFぽい感じ出してるけど、あれって実質的にあの頃誰もが感じる心の在り方を強調したものだと思うので。自意識溢れ出すあれ。

マーロウのプリンだ! 花楓・かえでがプリン好きなの、大好きなお母さんが好きだったからなんだね…。きっと大船や茅ヶ崎(なくなった)でおっきなビーカープリンを買って一家四人で食べるのが小さい時の幸せな時間だったんだろうなあ。今後もうプリンのシーンも涙なしには見られない。お母さんの住んでる家は新横浜か小机あたりかなあ。日産スタジアムが見えたから。わざわざ横浜駅で途中下車してまで買っていったんだろう。特に花楓はずっとお母さんに対して自責の念を感じていただろうから……よかった。本当によかった。

今回の思春期症候群はちょっと僕愛君愛みがある感じの出方で、「一家四人が楽しく暮らしている世界」に行ってしまった。この上なく優しい、都合のいい世界を、だけど咲太は離れて元の世界と向き合おうとする。ランドセルガールが小学生の姿だったのも、大人と子供の対比とかがあるのかもなあ。咲太がもう「大人」に足を踏み入れているからなのかな。

理央さん、「いい女」度が増してる気がしました。やっぱ理央さんすげーかっこいい。理想の友人。理央の教室に咲太が入るシーン、黒板でプランク定数の説明してて笑いましたw しかし高2でプランク定数までやってるあの高校ヤバいな。

安易に家族の存在感の希薄さとか家族不全を出すんじゃなくて、それにきちんと向き合ったこの作品の姿勢に敬意を表したい。結末も決してまた4人で楽しく暮らしましためでたしめでたしじゃなくて、これからも4人はもがきながら最良の形を探していくのだろう。バラバラに暮らしていても今作で確かに彼らは家族になれたし、とてもリアルな家族の形という気はした。家族の問題は誰にでも起こりうるからこそ、多くの人に刺さる作品になったんじゃないかと思う。自分もそうで、自分と家族との向き合い方というものを考えさせられました。咲太だけでなく花楓や母親、父親まで、真摯な人生を細やかに描き、彼らの幸せを願う制作陣の想いのようなものを感じた。

麻衣さんと咲太はもう熟年の夫婦みたいな安心感で、今回もことあるごとに咲太を支え、また支えられているのを見て、ほんとに良い伴侶に出会えて良かったなあ、と心から思った。保障じゃなくて保証しなよ! 大学生編、楽しみです!



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