羌瘣は史記に勇名を残す武将だけど、名前の字からして漢人ではないのは、秦が伝統的に異民族と繋がりを持っていて、人材を登用していたことの表れだと思う。勿論、羌瘣が女性というのはキングダムのオリ設定。
高い山に登って何かを炸裂させたら子供を授かるw
蒙驁は斉から秦に来た武将だけど、確かに史記の記述を見ても、大きな武功を上げ始めたのは合従軍との戦い(函谷関の戦い)の8年前からなので、超遅咲きの大将軍だったと言える。その代わり、蒙武と蒙恬が若くして活躍した。蒙驁が若い頃は昭襄王時代で常勝将軍白起や王騎などキングダムで六将と呼ばれる将軍達が活躍していて、史記に蒙驁の名前は出て来ない。秦が飛躍的に領土を広げたのは昭襄王時代なので、六将の活躍が伝説の英雄的に描かれるのは妥当だと思う。
函谷関・蕞の戦い以後は、秦一強がさらに進み、他の列国はさらに弱体化した。その中で趙の李牧は戦国末期の最高の智将だと思う。ただその智略は戦場においてであって、政争に秀でていたとは言い難い。
秦はいよいよ嬴政と呂不韋の主導権争いが本格化するので、楽しみ。嬴政が国内地盤を固めてこそ、若き武将達の飛躍が望めるわけで。