レントンとの再会、そしてチャールズの死。この二つを通して何か女としてのレイの覚悟を見たような気がする。
それから、レイがエウレカが母親役をしているなんて認めない、といっていたけど、どういう意味だろう。
エウレカセブンの空のシーンは、ナウシカやラピュタのそれを彷彿とさせて好きだな。
“純真で愚かな者たちの物語”
スピアヘッドの命運をなんとか変えようと作戦の撤回を訴えるレーナ。彼女は再び正義に訴えかける。しかしジェロームが言うように理想(だけ)では誰も動かせない。彼女は目的の為に汚い手段を含めあらゆる手を尽くすべきなのです。例えば戦争における共和国の立場が危うい事を訴えれば話は変わってくるはず。またはジェロームの弱みを握ることを考えてもいい。しかし正義は当然の如く為されるべきであると信じて疑わない彼女には、そんな搦手は想像だにしないのかもしれません。
一方で現実を見てきたはずの86。”決して豚には成り下がらない”と誓う彼らもレーナ同様に汚い現実にまみれる事を忌避している。彼らは抗う事を、自分たちの意思を伝えようとする事を諦めるべきではないのです。反乱を起こせば、例え成功しなくとも何かが変わるかもしれない。彼らに続く86を鼓舞して全面的な反乱を導けるかもしれない。国際世論の目に止まるかもしれない。誇り高くこの世を去れば自分たちは満足かもしれませんが、彼らの兄弟が依然住む世界は決して何も変わらないのです。
彼らに同意できない。しかし同時に、そんな彼らに何処か心を打たれるのです。それは、大人になった自分が忘れてしまった何か、理想や正義を信じて疑わない姿に少年の純真さを見るからであり、彼らの運命の刹那に、永遠に過ぎ去った少年時代の一瞬を重ね合わせるからかもしれません。
そして今話は、現実を象徴するような重々しい扉の音、レーナがジェロームの絶望という現実を突き付けられるシーンの不穏な弦楽曲、86が“ピクニック”の準備をするシーンで流れる優しく少し切ない英詩曲など、劇伴や挿入歌の選曲、使い方の旨さが際立っていたように思います。