最終回視聴後視聴。やはり好きな回です(とても良いを押したいですが最終回視聴後の感想なので自重します)。伏線も色々と見えましたが、それはひとまず置き、あらためて見返して、空に浮かぶ星海のようなワムズの一団はおそらく(とりわけ大きな、もしくは大量の)生命の死の元に現れる現象なのだろう、だったのだろうと思い、それが今回は印象の中心になりました。
終わった後の食事の場面で腰掛けていたバッシュがよっと立ち上がる動作など細かい動き好きになりました。
(最初は感想が言葉にならなかったので全て追記です)
第7話を観て、何かわからず視聴が止まりました(その時残したメモがなんとなく第8話から第10話の後で見ると反響する何かを感じるので残してみたいです。大きな月 違う後? プラントの人 水? 煙 思い出す ニコラスの 動作 青い火 写真 記憶 記事 思い出 記録)。
まとめての感想になると思います。
テーマを詰め込みすぎていてまとまっていないとみる見方もできる気はしました。例えば人間とワムズとプラントの関係と、見るもの見られるもの、それぞれの時間感覚、人間間の時間感覚の違い、人間と地球(過去の惑星)、環境について、都市ジュライと水、都市と地方、バッシュとナイの関係、ナイと博士の関係、博士の作った子とナイの関係、バッシュとプラントの関係(対比としてのナイとプラントの関係)等々。
そのような見方もできる気がすると書きたくなったのは、私が作品に対して、これでいいんだと安心してほしくはないと思うからな気がします。しかしこれ、この描ききれてなさ(もしくは私の受け取りが下手な可能性もあります)が好きでした。
うまく言葉になりませんが、とても見入る回でした。
最初にニコラスの銃の傷が目に入って(その前に追われる者のレンズの傷のなさが目に入っていて)、砂と水の違いはそこにあったと思いました。砂は溶けあわず同じに見えても一粒一粒違います。OPでは銃弾の統一が、また憲兵の同じ格好をしているのが残りました(20年間姿の変わらないバッシュは、また勝手に成長させられ姿を定められたニコラスは、その姿で社会に受容されます)。社会は規格化によって成立しています。その最たるもののコンテナはしかし傷だらけです。砂を押しのけて無情に進む船は道を外れて、……うまく終わりを見いだせませんが見届けたい話でした。
リヴィオとメリルは今回対照になっていた気がします。まだ擦り切れていない若い2人が道を外れて、その相手を追いかけました。
言葉にならない部分のほうによりとても良いと感じるところがありました。
今までで一番好きでした。もう一回観たいです。
王国美術品や建築に関する解像度があまりにも深まっていたように思います(美術品に詳しくないので個人的な感覚になってしまいますが)。初めて観たような心地でした。
ほとんどずっと鳴り続けている空の唸る音が、衝撃でした。好きと言うのより、これがこのアルビオンという国だという納得が近い感覚でした。頂上が空に近い国です。心をざわつかせる音でもあり、けれど途中の日本庭園の無音と自然の音に安心と音のなくなった不安を覚えました。
王国を牛耳る、牛耳り続けてきた怪物の肖像が克明に浮かびあがった話だったと思います。放置して思うように動かさせながら、彼、ノルマンディー公の思うように話が進んでいた衝撃がずっと残り続けてます。彼はあまりにも強く、絶望的な状況で、しかし鬱々とした視聴後にはなりませんでした。最後のアンジェの表情が全ての印象を反転させるだけの強烈さを備えていました。重力を反転させるCボールを失っても、状況を変えられる確信が胸に宿りました。
怪物を喰らい得る可能性を感じました。それは新たな怪物か、それとも勇者か、また別物か。わかりませんがもう一度観たいです。できれば見に行きます
心に残る回になった気がします。最終回視聴後に見返してみたい感じです。
以前の回から少しなんとなく印象に残っていた目の描写に焦点が当たった回でした。ネブラスカの防護メガネの内いっぱいに大きな目ん玉やバッシュのサングラス越しの目など、目を惹かれていました。重い十字架を背負って歩く男の目は砂漠の景色を完全に反射して映りません(砂漠に生きる、プラントから切り離され、虫を糧に生きる人々、ED表記によると猟師、はメガネが薄雲って目が見えません)。
一行は聞くに耐えないラジオの言説を切ります。記者は通信社の情報で噂の暗殺者と男を見ます。目を見れば分かる、バッシュはそう言います。綺麗、とメリルは空に集まった虫の発光を見て言いました。目を見れば分かると、虫を操る襲撃者はやはり言いました。バッシュとは違うものを同じ男の目に映し出して見ます。
法外な葬儀料の請求は男を胡散臭い葬儀屋に擬態させ、その不審を紛らわせていたかもしれません。大虫の内部はじめじめと湿っていて、砂漠の乾きとは対照的でした虫のネットワークから見たらこの砂漠は違って見えているのかもしれません(たしか虫の目も映っていた気がします。前回気になった、人間に使うには大きすぎる武装の相手のひとつが明らかにされてなるほどとひとつ思いました)。バッシュが鍵を抱えていると敵方は見ます。そこに本当に鍵があるのか、私はまだ少し疑っていますがたぶんあるのでしょう。
生命の一つの証は勢いよく流れる流水で、通常生き続けるうちには観測されません。生の証でありながら、生の内に存在していません。オープニング映像の砂時計のような銃弾と砂漠の砂は、その外に生命のあることで共通しているかもしれないと思います。オープニング映像と言えば、砂の色に赤が色づく様には生命を予感させるところを感じます。砂は流水のようでいて流水ではありません(銃弾の内側は見えません。銃弾は銃の外側から撃ち出されるその時まで見えません)。画面の外で殺された、砂漠の中継点として生きた夫婦は何を考えていたのでしょうかか、何を考えて生きていたでしょうか。そこには幾多の迷いと日々の苦労とそれ以上の喜楽があって、それはきっと豊饒な語りだったと思われます。もはや知るすべはありません。
追記 エンディングをよく聞きたくなりました
とても良かったです。
戦うこと、こどもの為に恩人に銃口を向け、同じ情を持つ相手から奪われかけて。戦わないこと、銃口を向けられても、手を延ばして。最後の、子はかすがい、だとちょっと違いますが、飲食代を迷惑料で勘弁してやる、な、あいまいな赦し合いを許さない敵(推定)の送り込んだ機械(ロストテクノロジー)がもたらした結末まで、堪能しました。ヴァッシュに助けられてしまったために、息子の死に目(おそらく)を見ることになったネブラスカ親は、「誰も傷つけたくない」バッシュによって、傷つけられることになったと思います。
それから、効果音(リードフォーリーアーティスト、フォーリーアーティスト、フォーリーエディター、録音助手、ダビング助手)がすごく凝った作りになっているようなのに気がつきました。臨場感があって(絵の効果ももちろん大ですが、私は耳のほうが強く入ってくるタイプでより印象に残りました)、手に汗握りました。