本作を見ていると、ただただ「巧い…」という言葉ばかりが頭に浮かぶ。演出、脚本、声優の演技、そして音楽。何もかもがハイレベルで制作されているように思える
やがて滅びる平家を描く物語。けれど、本作では確かに今を息づく人々の生き様を感じられるね
乗合事件を受けて重盛は過剰なまでの事後処理へ。これは次期棟梁とか中間管理職といった立ち位置よりも、重盛が人間性として持つ律儀さに振り回されているように見える
対して、清盛は権力者であると同時に面白さを優先する人間性を持つ。面白さを求める彼は予想が難しい言動に拠って周囲を振り回す
清盛は男性的な人間性に拠って物事を決めるから、盛子や徳子が女性である為に受け入れねばならない悲劇性を気にかけない
そして清盛最大の犠牲として今回描かれたのは白拍子の祇王だね。寵愛を受ければ上り調子、寵愛が外れれば駒として良いように使われる
そこに人間性はない
だからこそ、祇王は人間性を取り戻すために出家する必要があったのかも
自分は白拍子でなくなり、賑やかさも無い場所。けれど穏やかに暮らせるという
自分の都合などお構いなしに移り変わる人の心に世の姿。そこから隔絶された場所にこそ安らぎはあるのかもしれない
祇王の出家は重盛が言った「今この時は美しい」という考え方に通じるものが有るのかな
暗闇も未来もそれが見えてしまうから恐ろしい。でも、在るが儘の今であれば恐れるものは無い。重盛とびわにとって穏やかに見ることが出来る光景なのだろうね
それにしてもふとした仕草であったり登場人物の生活感の描き方はたいしたものだね
盛子の話をする時の徳子の手癖や横になる様子、普通の一家のように映る天皇家
俗世感に溢れたそれらの光景が丁寧に描かれるからこそ、権力者や時の運に翻弄される弱き者達の悲哀も際立って映る