芸事では先達が作った完璧な物がどうしても目に入るから、それを目指さなきゃみたいな気持ちになるのかな……
でも、完璧な物は完璧ではなく失敗に拠って作り上げられていたり、そもそも完璧に作る事が目的とされていなかったり
そういった事が伝わってくる少し素敵なエピソード
完成形だけを見れば誰をも魅了する芸術品も小さな技の連なりで出来ている。同様に職人の仕事も、助っ人へ最初に任せるのは掃除
関係ない、又は美しくない物の積み重ねで完璧は出来上がる。緋色の仕事熱心さは褒められる点だけど、彼女が見下す和の人懐っこさも一果が言うように大事な技術
和菓子の体験教室、これも完璧を前にしての実技と言えなくもないのかな
平伍が手本で作るのは完璧な形。そこに上手く作れる一果まで居れば、どうしても「上手くない」が見えてしまう
それを失敗だと笑ってしまえば、その人自身の否定にも繋がってしまう
でも、あの場ではそもそも完璧を目指す必要なんて無いわけで
和の公私無視も激しい非難とならないし、和菓子作りも美しさより楽しさが優先される
完璧でないと決め付けて笑うよりそこに有る可能性を尊重する
別の見方をすれば、母親も完璧でなかった接し方を改める機会となったのかもしれないね
完璧さを目指すのではなく、夢を目指しいつか褒めて貰いたいと目標再設定した緋色
最後には和菓子を美味しく食べれて、母親の言葉に笑顔になれたみゆ
どちらも良い変化だったね
それはそれとして、何度失敗してもひょうきんさを失わない和って実は最も強いのかもしれない、なんて事を思ってしまったよ?