実体のない噂、自分が見たわけでも確認したわけでもないけれど、人々はさも体感したかのように話す。それは真実への無責任と言えるのかもしれない
けど無責任に話していた噂が想像と違った時、人々はどう反応するか。そこに籠められた人間性を追求する面白い話だったかな
根も葉もない噂の殆どは真実の担保も実態もない情報だからハンクが言うように「人の噂も七十五日」で消える
でも消える前に巷間で広まり、人々は真実であるかのように噂を情報扱いして交わし合う。そこには面白い噂も有れば人を怒らせる噂も有る
アナリティカが疑問に感じたのもそういう点だね
噂は噂でしか無いのに、それを真実と思い込み実態と異なる事を許容できない者も居る。それは分析しても明朗な答えが出ない曖昧な領域
だとすれば不確実性にこそ楽しみを見出すベリィの答えは噂と付き合うのに最も相応しい答えだったのかも
体験をネットではなく、紙日記に残したベリィ。あれが鵺の文献のようにいつの日か実態ある情報として扱われるのかもしれないと考えると面白いね
他の点として、噂以外の実態ない情報が気になる。怪人ゼロ、ワトソン、孔雀の羽、マークトゥエイン…。これらの実態に迫る日は来るのだろうか……?