ディストピア的なエピソードを重ね描いた回だったね
AIの進歩で様々を容易に調整可能な世界だから、都合の悪い又は我慢のならない物を許容できない
かといって思いの儘に規制するのも間違いではないかと問い掛ける内容と感じられたよ
親にとって許容し難い不健全アニメ。子供の視聴を制限すれば無理解な親と思われるから健全な番組だけ流れるよう規制したくなる。それが良い社会に繋がると思い込む
小山田の主張は別物。健全を突き詰めると人間の居場所すら無くなると言う
これは不良の登場によって補足されているね
暴力を振りまく不良は不健全の極みに思える。しかし血を見て逃げたならそれは小物だし、不良に怯えた田口も小物、両者は同類
社会からそのような不健全な悪を排除するならどちらも排除される。不健全や悪を許容すべきとは思わないが、人が人で居られる社会の為には安易な排除は宜しく無いと言えるのかな
篠原が勤める学校はいわば田口が求めた不健全を完全に排除した世界かな
親が批判する要素を排除・否定した学校。その状況を維持する為に決まりは多くなるし、決まりを破る者は不健全の烙印を捺される
親が喜ぶ学校社会、それは果たして子供を真に思い遣るものなのか?不健全を完璧に排除すれば健全を実現できるのか?
望む学校教育が行われていると感じる親は社会を肯定するだろうし、大人の押しつけに反発する子供は社会を否定する
結局、その意味では社会に集う全ての者のコミュニケーションによってしか健全なんて実現できないのかも
だからこそ、学校社会の軋轢を体感したパーマが児童ケアに当たっている様子に希望を感じてしまうよ