サービス開始日: 2025-04-12 (257日目)
千歳くんとその取り巻きは、「キルケゴールも萩原朔太郎もドストエフスキイも読んだことない」し、「Radioheadを聴いたこともハヌマーンで感動したこともsyrup16gで泣いたこともない」軽薄な「陽キャ」で、しかし同時に、俺たちもまた『非リアでも恋していいですか?』や『オタクの俺がギャルビッチに狙われている』を読んでいることを誇りにしている山崎くんのように軽薄な「陰キャ」に過ぎない、ということを突き付けてくる無慈悲な「他者」でもある。さらに彼らは、キラキラした青春と恋物語に耽り自惚れることで自己を正当化しているやはり軽薄なナルシストであり、同時に彼らなりの挫折や苦しみ(例えば、千歳くんなら野球、柊夕湖なら「見られるのには慣れている」こと)を抱える人間でもある...。こんな感じで、観ていて視点が定まらない。そして、この視点を揺さぶられる鑑賞体験自体が、現実に対する態度を定められない俺たち自身の優柔不断さをエミュレートしているようにも思う。さらに、お前のその優柔不断さは「安全に痛い自己反省パフォーマンス」だぞ、と刺してきているようにも感じる。
スクールカースト的なリアリティが最初に提示されるせいで、主人公とヒロインたちのエモ風描写が丸ごと嘘くさく見えた。この「スクールカースト的なリアリティ」は「引きこもりの陰キャが想定する現実」といった感じで1話を通じて描写され、その徹底ぶりには舌を巻くとともに、これを好き好んで読んでいるのであろうライトノベル読者の自傷癖とマゾヒズムには驚かされる。最後の、千歳くんが窓を割って入ってきて「相互理解を始めようぜ」と手を差し伸べるシーンからは、この「スクールカースト的なリアリティ」からの脱却が作品を通じて模索されるのだろうことが予想され、どう模索していくのかとても興味が湧く一方で、彼らの自傷的なリアリティはもはや「窓を割る」ような粗雑さでは救いようがないほどに強固なんじゃないかという気がしてしまった。
七宮のもたらすメッセージ性を中二台詞がうまくマスクしつつ神秘的に演出していて引き込まれた。放送当時は2話くらいで観るのをやめてしまったが、3話からが本番だったようだ。
今日日あまり見かけないハード寄りのSFで、その点は新鮮で良かったのだが、技術革新に対する想像力がナイーブすぎるのと、社会・政治描写のリアリティレベルが技術のそれに対して低いのがむずがゆく、これが続くのはしんどいなーと思っていたところで文明が滅んでくれたので一安心。ロマンチックな終末セカイ系を期待。続きが楽しみ。