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めっちゃかっけー!Spotifyでサントラ聴いてるんですがやっぱ劇場で聴くのとはどこか別物で、その意味でもあの迫力と空気感は完全にライブのそれだった。なので、音響の良い映画館で聴くべき。こればっかりは配信では伝わらない。玉田や雪祈の演奏が、成長や挫折を経て次第に変わっていくのを素人でも感じることができて、プレイヤーの方の演奏技術もすごいし、音がダイレクトに心に響いた。

映画全編のかなりの部分がライブシーンだと事前に知って、お話は添え物的な感じかな?と思ったら全然そんなことなかった。ベタではあるのだけど10代のあのまだ何者にもなりきれていない頃の葛藤やら高揚やらがビンビンに伝わってきた。主人公(大)は天才肌なので最初から完成されていて、観客の多くは玉田や雪祈に感情移入するだろうと思う。

ジャズは完全に門外漢だけど、自分も彼らと同じ年代で楽器始めたからすごく来るものがあった。特に玉田。まったくの未経験で経験者と演奏する緊張、音を合わせるのってこんなに楽しいんだっていう気持ち、指にタコを作りながら基礎練習した日々、ただついていくだけで必死だった初ステージ、譜面から「落ち」た時の焦りと目が泳ぐ感じ。演奏中の時間は将来の不安も何も考えなくて済む瞬間だった。自分は玉田ほど練習に打ち込まなかったので下手なままで終わってしまったけど(いくらフィクションとはいえ、数ヶ月でブルーノート東京に立てるって玉田すごすぎるわ…)、彼がめきめき上手くなっていくのは観ていて気持ちよかったし、密かに応援してくれているおじいちゃんとかもよかった。

(以下、原作未読なんですが原作展開に関するネタバレがあります)
雪祈の挫折と、そこを乗り越えた矢先の悲劇。その後の展開はどうやら原作とは違うらしいのだけど、そこに自分は武井Pのいう「登場人物の幸せを願ってやまない感情」を見た気がした。

もちろんこの改変は武井P個人の発案というよりは制作陣の総意なのだろうけど、これまで武井Pはフィクションの持つ「登場人物の幸せを願う」という側面に繰り返し言及しておられて、それとよく呼応する改変だという気がする。たとえば『HELLO WORLD』パンフレットでは自らのことを「虚構とわかってながらキャラクターの幸せを願ってやまない感情を、美しいと思うタイプの人間」と語り、以下のこの一連のスレッドでは『トップをねらえ2!』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を引き合いにこの思いを語っておられる。
https://twitter.com/takei_katsuhiro/status/1169693767479095296
武井Pの話の中にある「ノリコが救われる話にしたいと思った」というのと同じ感情を、制作陣は雪祈に持ったのではないかな、と勝手に妄想している。幼少時から、So Blueに立ちたい一心ですべてをピアノに捧げてきた彼の夢を、せめて映画の世界では叶えてやりたい、(JASSのその後を描かない)映画だからこそそんな奇跡が作れる、そんな思いが込められた展開なのではないだろうか、と……。



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5周年記念の劇場上映を鑑賞。

圧倒的な「母になる」ということ。「母である」ということ。親は子のために何をしてやれるのか。たぶん、この映画は観た人の立場によって大きく感想が変わるタイプの話だと思う。人の親になったことのある人であれば平常心で観られないであろうシーンがかなりあった。

岡田麿里さんの作品をちゃんと観たのはこれが初めてなんだけど、予想以上に生々しい作風、感情をえぐるタイプの物語だなという印象。作家性が強い。個人的にはあまりクリエイターの性別と作風を結びつけたくはないんだけど、今作は特に「母親」を経験した者だけが辿り着ける境地のようなものもあったような気がする。子供を産み育てるという、人類の半分が経験しようのない境地をある種疑似体験させてくれる作品でもあった。本作には実にいろいろな「母親の在り方」が登場する。マキア、レイリア、ミド、ディタ。このうちマキア自身は出産を経験していないこともあり、より普遍的な描き方になっているように思う。レイリアやディタをめぐる描写は結構生々しくてちょっとぎょっとするところもあったけど、きっとそこに「母親のリアル」があるのだろう。

そして母親になったことのない、なりようのない人間であっても、確実にわかることはある。誰だって、母親から生まれているからだ。自分の母親に対する感情は人によって千差万別だろうけど、彼女が感じていたかも知れない感情をこの映画から想像することはできるし、エリアルの苦悩も感じ取ることができる。やはり「父と子」とはどこか違う関係性を感じる。

「母親性」と並行して、イオルフの長寿という設定がまた心をえぐる。イオルフは何も変わらないのに、時は過ぎ、エリアルたち人間はいつしか勝手に大きくなり、いつか親から離れて彼らの人生を歩んでいき、さらに次の世代に何かを伝えていく。永遠なんてものはなくて、いつか別れの日が来る。それでも親は子にとってちゃんと親であれたのだろうか。子は親の人生に何かを与えることができたのだろうか。たぶんお互いに自問し続けるのだと思う。

登場人物の行動原理がかなり感情ドリブン(しかもわりとドロドロした重い感情)なので、プロット全体としては気になる部分もあった。これは自分がキャラより物語構造のほうが気になってしまいがちなせいもあるかもしれない。ただ、その分、キャラの声にならない叫びや慟哭のようなものが強い力で物語をドライブしているのが感じられた。また音楽と美術が本当に美しかったので、大画面で観て良かったと思う。



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金の国水の国も見てきました!
みんなが一行さんみを感じたという浜辺さんの演技めっちゃ良かったです!主人公も含め本当に役に合ってました。
男女の甘々な触れあいを描く作品かと思ったら意外とエンジニア映画であり組織間の群像劇であり。そしてエキゾチックな意匠がめちゃくちゃ美しい。

主人公はエンジニアのある種の理想ですよね…w ただしおとぎ話っぽい体裁のためかリアリティラインはかなりふわっとしてて権謀術数とかアクションとかお仕事映画っぽい要素はそんなにないです。
ちょっと登場人物の感情の推移や行動の動機をうまく追えず混乱したんですが、原作読めてないからかも。

上質な絵本を読んだあとのような、全体的にほっこりする映画でした。
あと富山のアレもっと出してほしかったw



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原作もアニメも未履修でほぼネットミーム知識しかなかったんですが、良かったです!
・井上先生の絵がそのまんま動いてる!完全に漫画読んでる気分(コマ割りが浮かぶ)
・完全にスポーツ観戦してる感覚
・静と動の対比、台詞で語らない演出がとても良い
自分はバガボンドしか読んでないけど何となく井上先生節みたいなのが感じられて、あの絵のタッチがそのまま動いてるのすごかったし、構図やカット割りも不思議と漫画に近かった。
主人公を「彼」にしたの、正解だったと思う。これは原作読みたくなる…。試合とそれ以外のシーンの構成が巧いなあと。彼の苦悩や鬱屈、家族との関係、そんなものが映像だけからビンビンに伝わってきて、きっとすべてのスポーツ選手ひとりひとりの背景に人生や思い出や強い感情があるのだろうなとそんなことに思いを馳せるくらいに日常パートがよかったし、だからこそ試合に自然に熱が入る。本気で試合にすべてを託したくなる。

高校の体育でバスケやってた時の感覚を強烈に思い出した。ボールがバウンドする時のちょっと金属的な音。ドリブル中にボールが手に吸い付くような感覚。ゴムの匂いと表面のザラザラ。
陰キャなので団体で球技とかもう完全に無理だったんだけど、こんなに覚えていたとは。そういうかすかなバスケの記憶を確かに呼び起こしてくる、そして、バスケがしたいです……と思わせてしまう手腕、さすがだと思いました。



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※Twitterとふせったーの内容に加筆してます。

ようやく「かがみの孤城」見に行けました!めちゃくちゃ良かったです…いやこれこんなにも上質のミステリだったのか(辻村先生なんで予想すべきだったんですが)…伏線がすごく精緻で、そして真相が「自分がめっちゃ好きなパターン」でしたわ…。

伏線が丁寧なおかげで、自分でも途中でうすうす推理できてしまうんですが、逆にそれが心地よいというか「あっこれ好きなパターンのやつや…さあそこに向かってすべての伏線を拾っていけ…」みたいな気分になるし、「それ気づくやろ」って部分も「うん、でもだからこそエモいんや」ってなるやつ。

主人公の苦悩は、自分はよくわかってしまうタイプの人間でして、中学の頃のこといろいろ思い出して「ああ〜…」ってなるし、だからこれは中学生くらいの人達にぜひみてほしいし、大人になってから見ると自分の思春期を多角的な視点で振り返って昇華できる、気がする。

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以下、ふせったーに書いた内容:

すずめの戸締まりとも共通するけど例の「あなたの人生の物語」と近い構造で、未来を変える話ではないけどだからこそそれが救いになる物語。一足先に大人になった存在からの「大丈夫、大人になって」という肯定の力は大きい。

※すずめの戸締まりとあなたの人生の物語の共通項というのは、IOさん、イサイハクさん、ヒナタカさんなどが指摘されてたこれですねー。
https://twitter.com/isaihaku/status/1594677063306264577

かがみの孤城の場合は、相手は未来の自分ではないから円環ではないところがちょっと違うんだけど、逆に自分だけではないあの7人(+1)がバトンを渡して何かを託していく構造でもあって。この因果のパラドックスの持つSF性みたいなところが本当に良い。

あと、別にアキもこころの未来を知っているわけではないんだけど、自分の経験に裏打ちされた「大丈夫」であって、実際大人ができることはそれくらいしかないんですが、それでも託していける何かはあるのだと思う。未来の仲間たちから手を引っ張ってもらって救われた、だから逆に未来で彼らを支えていくという構造(スバルは喜多嶋先生より年長なのでアキの支えはないんだけどたぶんマサムネによって与えられた将来の夢が人生の支えになるのかな?)。たぶん普通に大人から「大丈夫」って言われるだけだと不信感しかない年代なはずなんですが、同じ時間を中学生として共有したからこそ、その大人にもそんな時代があったことがわかるし言うことも信じられる。というかむしろ大人視点で語るべき話なのかもしれないですね。大人からは大丈夫としか言ってあげられないけど、それでも本当に大丈夫だよと伝えたい、という。

さすがオトナ帝国の原監督だなあ。時代を超えて共闘するやつ、未来は大丈夫だよって言ってもらえるやつ、記憶消えるけど何か残るやつ、因果関係がぐるぐるするやつに弱いので、それがフルコンボで来てどうしようかと思いましたw

観る前は、感動、かけがえのない仲間、いじめに立ち向かう勇気、みたいなエモエモな方向を想像してたんですが、予想以上にミステリでありSFで、ロジックとエモのバランスが絶妙でした。孤島、謎の少女、鍵を探す、などのオーソドックスなミステリの上段にどんでん返し要素が数回あって、ただそのどんでん返しも途中でじわじわと推理できる類いのやつなので、推理の楽しみを味わえて最後には全部のピースを「自力で嵌められた」快感が残る。だからこの映画は、キャラで観る人も物語構成で観る人もどっちも楽しめるタイプの話だと思います。そしてきっと、すべて分かった上で観る2周目がめちゃくちゃ楽しめるタイプの話。

7年間+中学生という縛りがめちゃくちゃ巧いんですよね。7人がいた1985、1992、2006、2013、2020、2027という時代。たぶんアラサーくらいまでの人、それから40〜50代くらいまでの人であれば、これらの年代のどれかがそこそこの確率で自分の中学生時代と重なるはずなんですよ。だから、幅広い年代の観客が「自分の中学生時代」と重ねることができる。1999年だけがないのでその近辺だけ空白地帯にはなってしまいますが、まあ比較的時代に関係ない普遍的な描き方だったので大丈夫だったと思ってます。スラダンとかでも感じましたが、意識的にスマホとかを描かないようにしてますよね多分。そこに小出しにルーズソックス、ウォークマン、ゲトワとかの伏線を貼っていく。

真相、さすがに気づくやろっていうのはあって、スバルとか、せいぜいゲームウォッチ世代だろうからたぶんマサムネのゲーム触ってうすうすなんか気づいてると思うんですよ。明らかにオーバーテクノロジーなので、確信はないにしてもなんか変だ、でもまあこいついいやつだし深く考えるのはよそう的な。真相がわかったときも他の面々ほど驚いてなかった気はする。でもきっとそれがどこかで彼の原動力になるんだろうな。この辺はもう一回くらい観て確認しないとなー。ゲトワがパラレルワールド設定なのはエモいですよね。むしろこれがすずめの椅子的なやつか。

中学生の頃って本当に中学校と家だけが「世界のすべて」で、学校で何かつらいことがあるともう完全に逃げ場がなくて詰むんですよね。最近はもしかするとネットがかがみの孤城的なサードプレースになってるのかもだけど(実際今の自分にとってはTwitterが完全にそうですがw)。子供の持つ無神経さと肥大した自意識とが共存してて、自覚なくめちゃくちゃ残酷なことをしたりするし、受け取ったほうも必要以上に思い詰めて自分を全否定してしまう。高校くらいになると「他人は他人、自分は自分」という意識が育ってきてお互いにトラブルが起きなくなるように思うんですが。あの頃特有の逃げ場のなさが実にリアルに描かれているなあと思います。

真田さんや伊田先生、まあ確かにひどいんですがあれはこころの視点で描いているからああなるのは当然で、おそらく客観的には彼らは彼らなりの物語があるんだろうと、大人になった今はそう思えます(ただそこを描くと映画として完全にブレるので)。あれは単純な「いじめ」という言葉でくくれないものな気がする。いじめをテーマにした作品でよく出てくるような壮絶なものではなくて、刺々しい言葉、嫉妬、陰口、無視、嘲笑、周囲の無理解といった、誰もが経験したことがあるレベルの、でもそれがあの年代だと鋭利な刃物のように心に突き刺さる、そういう描き方なのは良かったと思ってます。あの頃の自分もちょっと馬鹿にされたりからかわれたら何ヶ月も気に病んで、真剣に相手を消してやりたいと思って、今考えるとなんであんな軽口を真に受けてんだよ自分が自意識過剰なんだよっていう視点を持てるのだけど(だから伊田先生の態度もわかる)、その渦中にいるともう何も見えないんですよね。そのバランスの妙。あれがもし壮絶な描写だったら「自分はこれよりマシだった」ってなって思考停止するだけなので。そして、こころがあの年齢で萌ちゃんのような視点に出会えたのは本当に良かったと思う。

自分もあの頃の自分に大丈夫だって言ってやりたい気はするんですが、わりとここ数年、当時の伏線がこの歳になって回収されてびっくりするような出来事がいくつかリアルで起きてまして、もしかしたら記憶が消されてるだけであの頃なんかあったのかもな? と思いますw

あとED後のおまけ画像、めちゃくちゃ良かったけど、あれ最初はランダム特典で配ってたんですか!? あんなコンプせざるを得ないものを、映画6回も観させてランダム配布とは……w



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