背景美術が実写かと見間違うばかりに美麗……!
そんな空間だからこそ新しくキャンプを意識する綾乃や庭であっても楽しそうにキャンプする野クルの面々が”生きている”と感じられるし、尚更に彼女らの”楽しさ”も伝わってくるね
キャンプ慣れしていない綾乃がまず手を出すのはココアを温める道具だったりバイクで出来るキャンプだったり
こういった点に彼女の個性が出ているし、その個性がリンや野クルとは違ったキャンプ模様を見せてくれるのだろうと期待させてくれるよ
場所が庭であってもキャンプ模様となる野クルは集団だからこその楽しみやちょっとした挑戦をする事で生じるワイワイがポイント
千明が購入したアレなテントだって失敗であってもそれは良い思い出だし、リンとの繋がりも生んでいる
挑戦には本物の失敗は無いと言えるね
失敗しても楽しめるという意味ではソーセージも同様。味は酷くてもお手製ソーセージ体験は次なるお手製への期待を持たせるもの
というより、考えてみればキャンプという行為自体がお手製の塊。工夫を凝らしてキャンプする行為こそ彼女らの楽しみの源泉と言えるのかも
そうして次のキャンプが楽しみになれば、自ら進んでキャンプへ行きたいと思うもの
綾乃の誘いが有ればそれに乗りつつソロキャンも楽しもうとするなでしこはキャンプの様々を楽しめている
こうした寂しさと楽しさが良い塩梅で混ざり合う本作は本当に良い作品ですよ
配偶者に相談せずマイホーム購入ってどうなんだ?と思わなくもないけど、それだけルディとしてはシルフィに何かを返したいとの欲が強かったという事かな
あの病から解放され、愛しい人と添い遂げた。それによって得られる全能感はルディに大胆な跳躍をさせたようで
……それにしても、マイホーム購入って思い切った買い物だなぁ(笑)
病という問題が解決された事でルディは次なる目的を選ぶ必要に駆られたわけだけど、そこで家族や故郷の問題ではなくシルフィが優先されるのは彼の中で彼女が大切なのだと示しているね
だと云うのに、この回の殆どが男連中と一緒ってどういう展開なの…
いや、ルディとザノバ的には人形制作が大きく進むきっかけを得たと言えるんだけどさ(笑)
どんなに思い切った買い物でも彼女が喜んでくれないなら意味はない。シルフィの反応が良かった点は一安心と言えるか
結婚したからって2人のこれからが全て一緒になるわけではない。でも、そこに約束が重ねられるなら、一緒に居ようとする意志は固くなる
一度は離れ離れ担ってしまった2人がああも仲睦まじく触れ合う様子を見られるのはこちらも温かい気持ちに成れるね
原作既読
『迷い込んだ天使様に駄目人間を直されていた件』と改題したくなる内容だけど、天使であるとわが一方的に温厚な性格をしているだけでなく、森太郎だってとわに引けを取らないくらい温厚な性格をしているからとわの不安定な部分を直してやれる
偶然出逢った2人がどのようなワンルームを形作っていくのか、その路線が見えるからこそ穏やかな気持ちで見られる作品となっているね
人間を勉強するは良いけれど不安を抱えていたとわにとって、一人暮らしにより他者の温もりが恋しくなっていた森太郎にとって
足りないものを埋めるという意味で2人の同棲開始は良い収まり具合となるね
人をすぐに信じてしまう天使のとわの信頼に応えてやれる森太郎とて天使的な性格をしている。突如舞い降りた同居人なんて迷惑を感じても可怪しくないのに、彼女の日用品を買ってやれる
でも、それは森太郎からの一方的なものでなく、まずとわが森太郎にお粥の形で温もりを与えていたから返したくなった温もりで
互いに温もりを与え会える素敵な関係、早くもそういった繋がりを作れたから、とわも森太郎を幸せにしたいと思えたのかな
森太郎ととわの優しく温かな二人暮らしを見守る作品として、合格点を挙げたくなる初回でしたよ
高校辞めて東京目指すなんてかなりロックな生き方。でも、それは彼女の音楽性を体現してはなく、むしろ行き詰まっていたから別の場所を目指しただけかもしれなくて
マイクもギターも持たなかった仁菜が本物のロックに手を伸ばすまでを描いた初回、既に興奮度の高い内容になっているように思えましたよ
道を間違え時間に間に合わず人から逃げ。それは上京したと云うより追い詰められてしまった人の行動そのもの
何も頼れない彼女がそれでも拠り所としたのは初期衝動を模したかのような歌とその歌手
一方で追い詰められていた桃香も最後の夜に彼女を拠り所としたわけか
目指すもの無く行き止まりに居着けば進めないから帰り道しか選べない
桃香はそれに納得していた。納得せず反抗を初めたのが仁菜で、更に言えば仁菜はもっと前から反抗していた訳か
でも仁菜には居場所がないからその反抗を表現する場を持たなかった
そんな彼女に最後のトリガーを与えたのが諦めた桃香の言葉という流れが良いね
桃香の決断に納得せず、彼女が去るしか無い現実も己の負けも受け容れず。そうした彼女の反抗心が、天を衝く中指が桃香だけでなくロックという何かを呼び寄せるものになっていたかのよう
聞き届けてくれる誰かの為でなく、溢れ出る衝動を表現するように雑踏の中で歌い上げた彼女の姿には感銘を覚えてしまったよ
まず、リンの原体験を描く事でキャンプの楽しみ方を改めて示した上で、今のリンが当時をどう感じたか。それを受けてなでしこがどのような活動を行っているかという3層構造になっているのが良いね
こうした影響関係が本作をより良い作品に仕立てているように感じられるよ
楽しみ方は人それぞれでも実体験が無いとその楽しさは判らない
ダムに興味があるなら見せてみる。キャンプに興味があるならやってみる。時にはちょい無理でも火熾しすら
そうした体験があるから今のリンは自らのキャンプを楽しめているのだろうと判る
楽しさが有れば寂しさがある。寂しさなんて普通は避けたい感情だけど、祖父が云うにはそれが次のキャンプを楽しみにしてくれるそうで
その感情はリンからなでしこへ伝えられつつ、より発展させられている。リンもなでしこと次のキャンプに行きたくなる
他方で野クルは新たな楽しみを
ここで鳥羽は本人的にはお薦めではないアルコールストーブをそれでも体験させているのは印象的
実体験は何よりも大切。細作途中の失敗も完成した成功も楽しみの一つ
それはやってみなければ得られない感情
そうして野クルは今回の楽しみを経て、次の楽しみへ向かうようで
それぞれの楽しみ方を尊重しつつ、それらが連鎖して新たな楽しみを生む本作。久方ぶりなTVシリーズを見る事で得られる楽しさは視聴者側にとっても良い体験になっていると再認識出来ましたよ
自分より格上の野禅を倒す為に力を求めに求めた迅火が辿り着いてしまった果ては人ならざる領域
正体を無くした彼は闇に成るでもなく人と闇の中間に成るでもなく筆舌に尽くし難い何かに成り果てた。野禅を上回るだけを望むべきだった力が迅火を滅ぼしてしまう構図には因果なものを感じるね
野禅は精霊転化で九尾の力を使うけれど、力に呑まれること無く人の知恵も使う。だから山の神にも対抗できる
対して迅火は知恵も力も足りないから力だけを求めた。普通の手段で到達できない境地は人を喪失させるもの
そうなった迅火が結局己自身のコントロールすら失うのはその境地が過ぎた力の証明であるように思えるよ
他方で真介は己のままで野禅を斬ってみせたね。また、人を愛するたまも闇である己を受け容れている
そんな2人が己を肯定する帰結に辿り着いた描写があるだけに、迅火の行き着いた場所は己の否定だと感じてしまう
過ぎた己ではなく有りの儘の己を肯定するたまの愛を含めた言葉が迅火に届いていない点は哀しいね…
原作を知っているからこのような展開に成る事は知っていた筈なのに、それでも道を踏み外す迅火と道を定めるたまという対比には鮮烈な印象を覚えてしまったよ
でも、これは3部構成の1部目なわけで。新たな主人公が目覚める事で始まる2部以降の話も充分に期待できる、そう思える世直し姉弟編でしたよ