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とても良い

Bパートがいつもとちょっとちがって良かった。フリーレンの表情とか、見下ろし視点の長回しとか。



全体
とても良い
映像
良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
とても良い

素敵すぎる。初めから終わりまで全部素敵。こんな素敵なお話を想像(創造)できるなもりの素敵さに感服。関係性ごとに絶妙にキャラクターの振る舞いが変化しつつ、やはり絶妙な緊張と緩和があり、それでいてキャラクターが同一性を失わない、関係性萌えのお手本のような作品だよね。わりとダイナミックに動くわりに、作画枚数が少ないからか、カクカクした印象を受けたりもしたが、そんなのは些細な事。





全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
とても良い

めちゃくちゃ泣いてしまって冷静に観れなかったけど、完璧だったと思う。特に前半はキャラクターやメタバース描写の新鮮さが、後半はセカイ系的なメタ表現の畳み掛けが素晴らしかった。

前半(月からの使徒が現れるまで)について。はじめは、かぐやのキャラクター性や会話のリズム感など、どう向き合うべきか戸惑った。かぐやは、特に前半において、エクスプレッションの集合体のような、つまり絵文字のような感じがあって、これは記号の束という意味では伝統的な萌えキャラクターの系譜なのだけど、その有り様が今までにないので、観ていて焦点が定まらないような心地があった。それに、かぐやに限らず、他のキャラクターやアニメーションの全体も、リズム感や表現という点で、今までにないもので、「果たしてこれは他の日本の観客にとってリアリティのあるものなのだろうか。ノれてないのは俺だけなのでは。」と落ち着かなかった。が、メタバース空間でのバトルシーンのあたりまで来て、このアニメは描写そのもののリアリティで魅せていくというよりも、サンプリングやオマージュを高密度に配置していって、作品外の文脈との相互関係でリアリティを演出するタイプのアニメだと理解した。そしてそのリアリティは、アニメ後半のセカイ系的演出の中で遡行的に増幅されたよう感じる。まとめると、少なくとも俺の感覚では、作品自体はかなり「攻めた」演出、アニメーションによって構成されているが、世俗的な感性のうちでギリギリ破綻しないように、むしろ心地よく感じられるように作られており、文字通り「前衛的」であるように思う。このようなアニメを現代でも観られることが素直にとても嬉しい。

後半のセカイ系的展開について。俺はセカイ系にめっぽう弱く、この作品はセカイ系という観点で非常によくできており、号泣してしまった。メタの次元が上がっていき、数千年という単位でこの世界がかぐやとの日常によって一気に意味付けられ、いろはのこれからの意味付けられ、そしてこの作品世界の類推として、俺たちの世界と人生も意味付けられる。感極まらずにはいられない。この感動は、太ったおばさん『出会って四光年で合体』以来だ。やはりセカイ系はジャンルなどではなく、普遍的なものなのではないか。本居宣長の「もののあわれ」は花を「花」の本質として捉えることを是とするが、これは花を相対性に還元されない、絶対的な、この世界の意味の原子として感得するということで、これはかぐやとの日常によってこの世界のすべてが意味付けられるというのと似ている気がする。セカイ系は形而上学のひとつの形式じゃないだろうか。

こんなのは感極まった結果出てきた倒錯にすぎないのだろうが、いずれにせよ、素晴らしい視聴体験だった。



全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
とても良い

完璧だった。



普通

なんか間が線形すぎて下手な演劇をみてるみたい。発言の意味がそのまま言葉の意味になるような発言しかしないから、自我しか出してないのに、自我が感じられない。でも画面に独特の優しさのようなものを感じる。決して良いとは言えないが、悪いと言いたくもない。



良い

ミステリ&ゴシックファンタジー+尊大な吸血鬼萌え+ココアちゃんみたいなお嬢様=最高。



良い

現代異能バトル+主人公がエラの張ったアルファ雄=最高。てか主人公の能力タイムアルターすぎるだろ。





全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
良い
ストーリー
良い
音楽
とても良い

基本的には学校生活の描写から構成されており、その中に恋愛物語(といってもほとんど物語性はないが)が埋め込まれている。現代の「学園もの」が学校生活をほとんど描いておらず、いかにフェイクかがよくわかる。
現代の感覚からすると、時間の流れが非常に遅い。物語も、恋をして、女の子の危うい一面を知り、それでも恋を引き受ける、という以上のものはなく、超薄味である。一見退屈しそうだが、そうでもなかった。むしろ情報量がほとんどなく、学校生活と恋の趣だけが流れていくので、かえって余計なことを考える余地がなく、没入できた。
このOVAの予告編は「SFもメカニックもない。ただ初恋のときめきだけをアニメの画面に封じ込めた。これは、アニメ世代に贈る青春の神話です。」という言葉で閉められるらしい。たしかに、この作品の鑑賞体験は「初恋のときめき」を表現した音楽を聴いているかのようだった。



全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
良い

すごいよかったし、すごくえっちだったんだけど、まさにアルバムをめくっていくみたいに「人生の転機」を巡っていくから、すべてが過去に葬られていくようでかなしくなった。平成も、青春も、『かぐや様』の記憶と紐づいたあの初々しい大学生活もぜんぶ過去なんだなって。



全体
とても良い
映像
とても良い
キャラクター
とても良い
ストーリー
とても良い
音楽
良い

完璧なアニメだった。原作も読みたい。



とても良い

唯一ミステリ的展開のほとんどない最終話。20話、21話と、徐々にミステリの要素が薄くなって、直接的な心の描写に向かっていった気もする。しかも、22話は、これまでミステリを駆動する舞台装置の役割を担ってきた千反田えるの人生の話。これが何を意味するのか。折木の話とみれば、この最終話は、21話と同型の「執着/自由」の主題の反復であり、里志と摩耶花の恋路のその後が描かれなかったことともあわせて、作品全体をきれいにまとめている。折木の言い方を借りれば、「省エネかそうでないか」をめぐる心の揺れ動きが彼の葛藤の中心であった。ラストシーンでは、それが「千反田と添い遂げるかそうしないか」という二者択一にまで一気に飛躍し、しかし会話は愛すべき省エネを象徴するような天気と季節の話に落ち着く。本当に美しい。



とても良い

人間関係の描き方がなんとなく新鮮で、かつ「リベラル」な趣があり、調べてみると、2020年のライトノベルが原作らしく、腑に落ちた。具体的にどこがどう新鮮なのかを理解できているわけではないのだが、10年代の非ファンタジーのライトノベルが考えてきた自意識や人間関係の閉塞を、男性主人公・複数ヒロインというハーレム的な枠組みを取っ払い、全メインキャラクターを女性とすることで突破しようとしているように感じる。原作一巻が同時期の『負けヒロインが多すぎる』は、「失恋後」を舞台とすることで突破を図っていたわけだが、その亜種という印象だ。だが、全メインキャラクターを女性にするというのは、かなりラディカルな設定であり、単にハーレム設定の限界を突破するという以上に、「男女」という関係性に付きまとうジェンダー的な限界をも無くしてしまうわけで、それが最初に感じた「リベラル」な趣につながっているのだと思う。原作がコロナ以前なのも、たぶんその方向性を増長しており、ジェンダーの影響を取っ払った状態での「友情」や「恋愛」を空想で科学しようという志向がそもそも強い。翻って、コロナ以降の非ファンタジーライトノベルがどのような問題意識に向かっているのか、気になるところだ。



とても良い

千反田えるは涼宮ハルヒだ。より正確には、涼宮ハルヒの精神分析的な実装といえる。涼宮ハルヒは『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品における神であり、SF的な世界設定によって与えられた超越的な能力によって、作品世界の時空間的な構造を、彼女の無意識の形に合うよう、強引に変化させてしまう。一方、千反田えるは、涼宮ハルヒのような超越的な能力を備えてはいないが、自意識という人間普遍の心理機構を欠いた超人的なキャラクターであり、好奇心や違和感といった前意識的な心の動き=無意識が抑制されずにそのまま奔出する。結果、彼女は、事件を呼び込み、折木による推理を促し、事件の背後にあった葛藤を暴き、心の淀みをなくしてしまう。言い換えると、千反田えるは、自身の無意識=好奇心が満たされるように、公共的な言語空間(私秘的でない言語空間という意味で)を作り変えてしまうのであり、その意味で『氷菓』という作品における神である。彼女の干渉は、人間の内的な葛藤、心の淀み、自意識の沈殿を許さない。しかし、人間は、自己や関係の同一性と連続性の問題として、葛藤の急進的な解消を望まない場合がある。里志と摩耶花の恋路はそういうケースである。だから、3人は千反田をだまし、公共圏への干渉を阻んだのだ。







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