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千反田えるは涼宮ハルヒだ。より正確には、涼宮ハルヒの精神分析的な実装といえる。涼宮ハルヒは『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品における神であり、SF的な世界設定によって与えられた超越的な能力によって、作品世界の時空間的な構造を、彼女の無意識の形に合うよう、強引に変化させてしまう。一方、千反田えるは、涼宮ハルヒのような超越的な能力を備えてはいないが、自意識という人間普遍の心理機構を欠いた超人的なキャラクターであり、好奇心や違和感といった前意識的な心の動き=無意識が抑制されずにそのまま奔出する。結果、彼女は、事件を呼び込み、折木による推理を促し、事件の背後にあった葛藤を暴き、心の淀みをなくしてしまう。言い換えると、千反田えるは、自身の無意識=好奇心が満たされるように、公共的な言語空間(私秘的でない言語空間という意味で)を作り変えてしまうのであり、その意味で『氷菓』という作品における神である。彼女の干渉は、人間の内的な葛藤、心の淀み、自意識の沈殿を許さない。しかし、人間は、自己や関係の同一性と連続性の問題として、葛藤の急進的な解消を望まない場合がある。里志と摩耶花の恋路はそういうケースである。だから、3人は千反田をだまし、公共圏への干渉を阻んだのだ。











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この作品、千反田えるを除いて全てのキャラクターにはっきりとした自意識が感じられるが、にもかかわらず現実の学校生活にはつきものの「冷笑」や「シラけ」をともなう自意識が一切見られない。どのキャラクターも「謎解き」やら「部活動」やらに真面目に取り組んでいる。この点、違和感というほどではないが、自意識の表現の不徹底のようにも思われる。が、学校生活そのものにシラけた自意識の導入は、ドラマ全体を「本気/冷笑」の二項対立へと陳腐化してしまう気もする。むしろ全キャラクターが真面目になれる地平を仮構することで、その下での自意識の機微を描くことを目指したのかもしれない。実際、現実の人間心理においても、社会における生存という地平では、おおむね真剣さが保証されているので、その水準を学校生活へと下降させるのは、紙面の限られた学園推理小説の可能性を考慮すれば、とても理にかなっている。







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青春すぎるってぇ!俺もこんなガチの高校生活送りたかった...











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自身を特別視する先輩の言動が、優越感をともなう自意識を芽生えさせるも、反芻され、固定化される前段階で挫かれる。自意識を意識することさえ許されず、それが屈辱であることも分からぬまま、ただただ落ち着かなさに翻弄され、イライラすることしかできない。飄々とした人物であった「はずの」折木の中にあった自我が、他者に翻弄される過程で露わになる様子が生々しく描かれており、自意識の感覚がフラッシュバックして、苦しさが心地よかった。

























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