ぼんぼり祭りに緒花は「四十万スイになりたい」と願う。それが意味するのは、「女将みたいに仕事に誇りを持って、一生懸命になって、いつまでも最初の夢を忘れない人になりたい」ということ。
そして、お祭りも終わり、若旦那・縁は喜翆荘を閉じることに同意すると決意した。しかし、「でもまたいつか再開したい、母さん…女将さんが喜ぶ旅館を作りたいんだ」という縁の言葉と、それに続いて自分もまた戻ってくるというみんなの宣言は、これは決して夢の終わりではなくて、これは夢の始まりなんだと思わせるものだった。
女将さんという夢を忘れずにずっとずっと走り続けてきた人の魂がこもった場所が「喜翆荘」であって、そしてそんな「喜翆荘」で働くことでみんなも自分の夢を抱く熱意と決意を得られる。それがまさに喜翆荘を「夢が生まれる場所」と言い表した緒花の胸中なんだと思う。
だからこそ、喜翆荘は一度なくなるけれど、みんなの喜翆荘をもとに生まれた夢はなくならない。むしろ、この「喜翆荘」を再び作り上げるために、みんな「ぼんぼろう!」とすることができる。そして、さらにそんな女将みたいな「ぼんぼってる人」が集まることで、それを追いかけて「自分も!」とぼんぼり始める人も出てくる。
つまるところ、それもひっくるめての「夢の生まれる場所・喜翆荘」。みんなが夢に向かって頑張って、人生を輝かせられるための旗印なんだと思う。それに、この「花咲くいろは」という物語だって、この軌跡を見つめてきた自分にとっての「ぼんぼろう!」と駆け出すための旗印の一つとして、記憶と心に刻まれていた。
いつか再会できるといいね
ぼんぼりたいんです!!!!
おはなかわいい
おはなかわいい
夢はいつだってどんな時だってドラマチックに。26話通して、花ちゃんの夢への道が色んなドラマで色んな出会いで飾られてた。なんだかエピローグに見えてプロローグな気がした。花ちゃんはやっとらしさを見つけてこれから夢へと走りだす、もっと輝き出すんだろうなって期待にあふれた最終回だった。
働くってことを通して泣いたり笑ったり喜怒哀楽のすべてをそこにぶつけて、時にはぶつかり合って慰めあって傷つけあって花ちゃんが喜翆荘で体験したすべてが夢への糧になっていく、見終わったあとの清々しさと切なさはそれだげ喜翆荘が自分も好きになってたんだなーとエンディングを聴きながら泣きそうになってた
緒花の願い札、いいね。
あの女の子がいろはちゃんなの・・・?(最終回にしてやっとタイトル回収?)
人がいなくなった建物は広く感じる。
いい最終回だった。
いい最終回だった。
グッとくるものがあったということはいつの間にか喜翆荘のことが好きになっていたのではないかと思ってしまう。
全話を通して見ているうちに喜翆荘に行きたくなったのは僕だけだろうか?
「居場所ってさ、もともとそこにあるもんじゃないんだなって。自分で見つけて、自分で作っていくもんだなって、お前見て思った。」
って、初めて見た学生の頃は何も思わなかったけど、今ほんと染みわたる。
この作品を見る度、自分は咲くことができているかとギョッとする。それでも、「待ってるよ・・・」、そんな言葉がホントに温かくって。いつ見ても勇気をもらえる名作。ホントに好きだなぁ。素晴らしい物語をありがとう。明日もぼんぼろう。
祭りの渡った後のよう。賑わっていた頃の風景と閉めた後の風景を交互に出すのはやっぱりずるい…。空の青色もとてもきれいだった。これが凪のあすからに繋がっていったのか…。