サービス開始日: 2019-11-12 (1867日目)
前半がやや冗長。前半で離脱する人も多いと思う。
ルッツに疑われるあたりから少しづつ面白くなってきて後半はもう掴まれてしまっていた。
これは評価が難しい。なにしろ私はアニメ鑑賞歴が短くこういうマニア系の読解の訓練をしておらず、また知能レベルも雑魚なので、設定を三割ほどしか理解しきれなかったから。
映像を(とても良い)としたが、特異なイメージに対してであり、動きの不自然さチープさも感じなくはない。このあたりももっとアニメ技術に詳しければ言語化できるんだろうが。
『けものフレンズ』にもそういう要素はあったが、この作品は更に受け手の咀嚼力を信頼して作られたものだと思う。
高橋留美子『らんま』風の作品かと思っていたが、そういう要素はありつつもそれだけではなく癒やしと闇という対極の要素が描かれていく。一筋縄ではいかない作品。
キャラクターも素晴らしい。予備知識なしで観始めたが、観終わったときには大切な宝物のような作品になった。
原作も読みたくなる。
面白いけど、結構難解。一度の視聴では理解しきれない。2度3度と観るべき作品だろう。それが負担にならないレベルの物語性とビジュアルの特異さのある刺激的な作品だ。
このエンディングは救いのない結末以外は無理なんじゃないかという設定での最適解だったのだと思う。
わずか12話で沢山のキャラクターが立っているのは素晴らしい。
基本は将棋の神に愛された天才たちの物語だが、凡才にもスポットが当てられていることで物語に奥行きが出ている。
天才も凡才も将棋を愛する者という意味で等しく価値を有するというようなメッセージがあるのかどうかはわからないが、私のようなその他大勢の凡人には多少心に響く。
ロリー臭いところは我慢してでも見る値打ちはある。
シーズン1で描かれたのは、個性のぶつかり合いと絆を深めていく過程。強引で心地良いラスト。
対してシーズン2は、スクールアイドルとしてのきらめく日々と、別れのせつなさ。
ストーリーが濃く感動的なシーズン1とどうしても比べてしまい、やはりシーズン1には敵わない。とはいえそれでも良作だと思う。
μ’sは現メンバーだからこそμ’sであり、三年生の卒業とともにμ’sは解散というこのせつない展開を根底に描かれる日々が宝石のように美しい。
これは異色作というべきだろう。
加点法で評価するならかなりの名作。減点法でなら駄作。
欠点を挙げていけばきりがない程にある。
設定の矛盾はまあいいとして、一番の問題は前半のギャグ路線が腹が立つレベルで面白くないこと。当時としても古いセンスのギャグだったのではないだろうか?
それと同時に、優れた点も多い。
友情描写の熱さやファイトシーンの面白さの前には、多少の矛盾は許容してしまおうという気になる。トンデモ理論も面白い。これは欠点のようでもあるが、長所の要素のほうが強いかと思う。
残念ながら終盤やや失速した感はある。
バッファローマンがツノを付けられただけでああなることの説明が不充分。なにかトンデモ理論で説明するのがこの作品の醍醐味じゃないのだろうか。
どうやら原作ではまた違った展開らしく、原作ファンにも終盤は不評のようだ。機会があれば原作漫画も読んでみようと思う。
キャラクターが可愛く、世界観が肯定的でほのぼのした作品でありながら、この作品世界に散りばめられたさまざまな謎の存在が物語に推進力を与え、そうした作品の宿命とも言える退屈さから免れている。
シーズン2でそれらが解決するのかもしれないが、提示された謎が解明されてはおらず、シーズン1単体では完成度としては必ずしも高いわけではない。設定の矛盾と思われる箇所もいくつかある。
だが、それでもなおこの作品は佳品だと評価したい。その理由は先に述べたように、世界観の心地よさと、推進力である。そして、設定の矛盾(と思われる箇所)や未解明さも、欠点であると同時に、鑑賞後の味わい要素でもある。
シーズン2はこの作品の監督作品ではないらしく酷評もあるようだが、一応は観ておきたい。
世界観の謎がどう説明されるのか、そして彼女たちがどうなるのか、別の監督による一つの解釈として興味はある。
意外に面白かった。
少女が戦車に乗る必然性や理由付けは特になくて、美少女と戦車という組み合わせをやりたいだけのための設定なんだけど、そういうのに抵抗がなければ楽しめる。
私個人としては、理由付けしてるほうが好みではあるが。
序盤提示された、船の上に学園と小さな街があるという設定は面白くなりそうと思ったが、特に物語の本筋には関係がなかったりする。
これも個人的にはこだわってほしかったが、物語の一番大切なポイントはワクワクする戦争ごっこの描写であり、そこが楽しく描けているということで良作だと思う。
今どきメジャーな著作物で、戦争を批判的な視点抜きにワクワクするものとして描くのは難しいが、こういうやり方があるか。
予想以上に良かった。
ダスティン・ホフマン主演の『卒業』のパターンだが、このパターンは『卒業』含めて劇的だが後味が悪い。
しかし、この作品はこのパターンの後味の悪さを取り除くことに成功している。
クレヨンしんちゃんの映画初鑑賞。
映画クレしんは凄いっていう話を聞いていたのでめっちゃ期待して観たせいか、イマイチだった。
まあ子供向きアニメ映画としてはこんなもんか。
ハッピーな感じは悪くない。
かなり面白い。
教養として履修しておこうぐらいの気持ちで見始めたのだが、期待以上の作品。いきあたりばったりに物語を連ねていったと聞くが、そういうやり方でここまで凄いものになるとは。
欠点は多々ある。
初期のビジュアルの粗さ。
シンと闘うまでの無駄な引き伸ばし。
キーとなるはずのユリアの魅力がイマイチ描ききれていないところ。
そして、昔のアニメ特有の過去を振り返る総集編の多さ。これは苦痛になるレベルで多く、重大な欠陥である。特に、最終回を総集編にした感性は理解できない。
しかし、『北斗の拳』にはそれらを吹き飛ばす魅力がある。その魅力の正体は何なんだろうか。
魅力の正体は、半分はギャグ狙いであろう極端な誇張にあるのかも知れない。
この作品世界の大柄な男は、ケンシロウの何倍もある異常な大男として描かれる。主要人物は、そんな大男のみならず、百人単位の戦士やチンピラをあっさりと片付けてしまう。岩塊を持ち上げ、足を地に叩きつけると地割れが起こる。まるでシリアスタッチのアラレちゃんである。
ギャグ狙いの荒唐無稽といってもいい物語だが、だからこそそれを突き抜けることで、途中から神話的な趣を纏いはじめる。主要登場人物の幾人かは、世俗の悪党や正義漢ではなく神話の中の神のようでさえある。
神々の生き様や死に様は、我々には手の届かない高みにあり、参考にも指針にもならない。
我々にはただ神々の行いを目の当たりにし、そして圧倒されるのだ。