クリスマスになっても子供を家に帰してくれないカレッジはまるで茨で囲った城のよう
生徒の自由は制限され。安全に守られているとも言い難い。元から不安定な者がより不安定になるのも当然
生徒達が不安定さの中で楽しめる筈だったクリスマスがフィロメラにとって限界に達する日となるのはなんて皮肉だろうね
チセが作ったルーンは茨を象ったもの。茨はエリアスを意味する物であるし、同時に茨の加護により友人達を守りたいとの想いが籠められている
けれど渡されたフィロメラは全く違う対応、ルーンをお守りでなく糧としてしまう
孤独と苦しみを深め、茨のように様々な呪いに囚われた彼女に助けなんて存在しない
それでもフィロメラが楽になる道があったとすれば、それは自身を茨としてしまう事だったんだろうなぁ…。触れるだけで誰かを傷つける存在
ヴェロニカとリアン、他の学生に棘を向けた彼女。これまでの苦しみが嘘のようにすっきりした雰囲気で親を求める彼女の姿があまりにもおぞましい
だからこそチセとエリアスが彼女を茨の中から助け出してくれやしないかと願ってしまうが…
ダイヤが優美にアホな事してる……
さておき、これまではジンクスと上手く戦えていた筈が背負わされた悲願の重さによりジンクスそのものと果てのない戦いを始めてしまったような
でも彼女が戦うべきはレースそのもの筈で。もはやこれは迷走と呼ぶしかない
サトノ家の悲願、G1勝利はダイヤだけの夢が掛かった勝負ではないから彼女達は苦しむ
ジンクスにより道を絶った先輩を、ジンクスにより道に悩む後輩を知っている。また、サトノの悲願に懸ける大人達の姿も知っている。それら全てがダイヤの背に伸し掛かるから彼女は何としても勝利を掴まなければという想いを強くしてしまう
ジンクスの正体が神様ではなく、彼女自身に成りかけていた
そこへマックイーンが良い手本を示してくれたね
彼女とてレース直前の落鉄という不幸を体験した者。けどそれに負けず勝利を掴んだ。ジンクスの恐ろしさも怖がる必要が無い点も知っている
きっとマックイーンにとってジンクスはレースの香りつけの1種に過ぎない
なら彼女に憧れるダイヤが行うべきは自分の強さを信じる事だけ
ダイヤはジンクスがあるから負けるのではなく、ジンクスがあるから勝てる。その図式にする為に自分の強さを信じる
レース中の雄叫びは魂の全てを絞り出しているかのよう
だからこそレースが終わった後、彼女は歓声に応えるより大泣きする以外できなかったのかな。それ程までに背負った悲願が大きかったのだろうね
勝利のジンクスを掴んだ彼女の姿はとても美しいものだったよ
ゴミの化粧を施された木簡、実は暗号かもしれないし本当にゴミかもしれない
別の顔をしている以上は当人が語らない限り真相は誰にも判らない
猫猫と壬氏、向かい合って正体を探りつつも探れる幅も探って良い幅も異なる。それは端的に二人の立場の違いを示していたね
園遊会を前に艶やかな飾り付けを求められた猫猫は化粧を施されようとしたわけだけど、実際は艶やかに見せない事こそ彼女の化粧だったわけだ
見目麗しい女であると主張して男を求める後宮という場。けれど猫猫が生きてきたのは男を安易に近付けては身が危うくなる世界。それは猫猫の別の顔と言えるね
猫猫がこれまで見せていた化粧顔によって壬氏は彼女を軽々に扱えた。しかし、真の顔は壬氏には想像もつかないような防護策が必要になる世界を囁き教えてくる
理解した際の壬氏が見せたこれまでと異なる顔は何を意味するのだろうね?色々想像が膨らむけれど、猫猫には通じなかったのは残念
皇帝と妃たちが集う華やかな園遊会。けれど、そこには華やかさで悪意を誤魔化した顔を持つ陰謀が潜んでいるようで
漫画版を読んだ際に印象深かく思えた次回のエピソード、猫猫の本質が発揮されるだろう瞬間がどのように描かれるか今から楽しみになってしまうよ
会場もステージも屋台も何もかも手作り。それは春香達が行うツアーとは比べ物にならないけど、手作りだからこそ未来達の想いが詰まったものになる
それはミリオンスターズがどのようなアイドルになって行きたいかを示すものになるわけだ
これから未来達と同じようにアイドルになる歌織と紬があのステージを見た事には大きな意味がありそう。これから己がどのようなアイドルになるかが理解できる
また、静香のアイドル活動に賛同しなかった彼女の父がこの想い溢れるステージを見てどう思うのか?それが静香のこれからにとってキーになるのかな
詠子やあの父親にとって、極限の恐怖が宿る受胎告知の家。けれど終わってみれば夜宵にとっては等しくただのオカルトで。後悔の念を口にする父親とてただの門番扱い
表情一つ変えずに悪霊を倒し、卒業生ハウスをゲットする夜宵を見ると恐怖を使いこなす者こそ最強なのだと改めて感じさせるよ
裏では新たな恐怖となっていく空亡の成長が描かれたね
神様に挑んであっさりしてやられる様は恐怖に負ける側。でも知恵を絞って鬼子母神に挑み、勝ちを拾った様子からは既に空亡も恐怖を使いこなす側になったのだと判る。
恐怖を使う者が揃い踏みしたことで夜宵やこれらの者達が邂逅した時にどのような恐怖が撒き散らされるのかと楽しみに思えてしまうよ
魔族の特性が描かれて以来、対する人類の特性を強調するエピソードが続くね
魔族と人類の間には絶対的な力量差がある。前回はフェルンが意表を突けたが、それが勝利に繋がるわけじゃない
それでも魔族が人間を脅威と見做していない点、更には人間の積み重ねがその力量差を覆す下地となっているね
フェルン達の実力では魔族から勝ちを拾えない。あくまでも相手の不意をつく程度。フリーレンを頼りたくなる
それでも二人が戦いに巻き込まれるのはフリーレンの存在に因るもの。リュグナーはフリーレンを警戒しているから情報を引き出せる二人を襲う。つまり二人を脅威と考えていない
そこにこそ勝機が存在する
シュタルクがアイゼンから教わったように最後に立っていた者が勝ち
どれだけの力量差があろうとも相手が舐めて掛かるなら勝ちは拾える。フェルンの速さと手数、シュタルクのしぶとさは歴然と存在した力量差を覆すもの。魔族と人間の天秤を傾けるもの
それにしたって、斧を腹で受け止めたシュタルクは無茶苦茶だと思うけど(笑)
弟子達は素晴らしい戦いを見せた。次回こそはフリーレンの本気が見られるのかな?
コミュニケーションは深まりつつも行き詰まりを見せるチセ達の交流。そこで改めて表に出てくるのは魔力を奪う犯人探しか
チセ達がカレッジに閉じ込められるのも、生徒達の心身が不調を来すのも全て犯人が原因。かといって無力な学生が犯人探しに気張ればそれはそれで諍いが生まれる。彼女らの現状は迷宮そのものだね
何処へ向かえば良いかすら判らない現状、その意味ではエリアスが気分転換の収穫なんて言い出したのはかなり珍しいかも
出来ない事を頑張るのではなく些細でも出来る事に精を出す。それが最も彼女らにとって「らしい」姿だから閉塞的ではない空気が生まれる
そこでチセがフィロメラを気に掛けるのは、彼女の苦痛を少しでも軽減したいとの優しさからだろうか
チセの心配を他所にフィロメラの苦境は変わらず
彼女に近いアルキュオネは親代わりにも成れる筈なのに踏み出せず。彼女の部屋に入れるヴェロニカは異変を来すフィロメラの心には踏み込まず
頼れる者も打ち明けられる者も無いままに孤独を深めるフィロメラを誰が救ってやれるのだろうね?
夢、目標、自己実現。それらを叶える為のレースを競うライバル達の存在は本作の物語に素晴らしい彩りを添えてくれるね
その点を最も体現しているのはキタサンブラックか。彼女は敗北も挫折も成長も経験している。だからこそ彼女の物語は面白い
ダイヤの勝利は神様が邪魔しているかのよう。でも神様が敵なら彼女のレースは詰まらないものになる。そこで神ではなくジンクスを破ると誓う強さが彼女のレースを面白くさせる
別種の動きをしているのがドゥラメンテかな?彼女は最強を証明する為に走っている。そこに他者の存在はない。その意味ではドゥラメンテのレースは強いけれど面白くはない
だからこそ彼女を強く意識するキタサンが関わってくる事でレースが面白くなる。キタサンはあんなに意識しているのにドゥラメンテの方はキタサンを認識もしていなかった
キタサンの敵愾心が状況を面白くしてくれる。また。宝塚を走る他のウマ娘達が掲げる自己実現もレースを面白くしてくれるね
結果はキタサンすら意識していなかった人物の勝利とちょっと皮肉の効いたものに
けれど、それがドゥラメンテを完全な勝者とせず今回のレースは良いものだったという印象を持たせてくれる。ドゥラメンテが認識を改めるのも当然の流れ
2人が「相手は此処に在る」と意識し握手を交わしたのは感動的なシーンかも。だからこそ、ドゥラメンテの違和感が気になってしまうが……