2日ぶりの夜実況。
21話と同様の生徒会長名乗りと、愛を語る印象的な決めぜりふがあり、構成がよく似ている。
変化球なくストレートに愛を語り続けたシリーズだったけど、愛と言っても利己と利他が対立軸として描かれるわけではなく。
ジャネジー(利己)の大元も結局は愛であり、人である限り愛を持たぬ者などいないのであると。タイトルのドキドキとは、「誰とでも分かりあえる」というもっと大きな愛を指していたのではないか。
この回が実質的な最終回で、次回に現れる敵もボーナスステージのようなもの。大いなる愛を体現するプリキュアとなったキュアハートの前に、敵はいない。
個別のシーンでは、ロゼッタバルーンから巨大ランスが登場したシーンはいつ観ても吹き出してしまう。
また、キュアハートに襲いかかろうとしていたキングジコチューのジャネジー本体を、キュアソードの紫色の閃光が貫くシーンがとても格好良い。
キングジコチューの心臓に組み込まれる王様を見た僕「もうこれ機動武闘伝Gガンダムだろ……」
ジコチュー細胞という単語を聞いた僕「やっぱり機動武闘伝Gガンダムじゃないか!!!!!」
さておき、ロゼッタバルーンが忘れられて無くてよかった。「ロゼッタバルーンは何が出るのか、毎回のお楽しみですわ」という口上が出て以来、披露されていない技だったので、全く予想してなかった巨大ランス召喚には度肝を抜かれたぜ。
アバンでキュアハートが自ら正体を大声で明かす潔さ。
「ここは私に任せて皆は先へ!」は深夜アニメでは死亡フラグのテンプレだけど、プリキュアでは安心感があるw
キュアロゼッタ、ダイヤモンド、ソードがそれぞれ死力を尽くしてハートとレジーナの進路を守り抜く展開が熱かった。
キングジコチューの体内に捕らわれた国王を救出するキーワードは「家族の愛」だった。一人を救うか全員を救うかの二者択一は答えの出ない問題だけど、そのフレームを仕組んで利用する者が一番悪いというマナの正論は、ヒールを見事に論破した。「愛だから」というのは強引な結論だけど、いろいろやって最後に言っているので説得力が出てくる。
キングジコチューと国王を切り離すことに成功したと思ったら、3幹部のベールが弱体化したキングジコチューを呑み込んで真のラスボスに。ベールはどこから来た何者なのか……。
イーラは以前に記憶喪失になって六花に助けられた回が伏線になって、敵対しながらもプリキュア達の身を案じていた様子。その描写をもう少し強くしてもよかったかとは思うけど。
次回最終話までラスボス戦が引き継がれる意味があまり分からないのだけど、3幹部の顛末と残っている伏線の回収ということなのかな。
本日の朝実況。
キュアハートの伝説の「生徒会長名乗り」から、アバン早々に一気に最高潮に。キングジコチューの体内へ、国王の魂を目指して潜入する熱量ある展開は、最終局面にふさわしい。
途中、ロゼッタ、ダイヤモンド、ソードとしんがりからひとりずつ抜け、敵の追っ手を食い止める役を買って出る。「ここはわたしにまかせて」と言わんばかりのこれらのシーンは、いわゆる「フラグ」そのものだがw、3人ともフラグに屈することなく生還する。まったく強い。
「ジコチュー」つまり、利己と利他が対立軸として描かれる様に当初は思われた。それは、亜久里とレジーナを戦わせることに審判を委ねた、王女の当初の思惑とも一致する。
しかし、ここ最終局面に至って「愛ある利己」も存在しうることが描かれ、善悪の基準はそんなところにはないとでも言わんばかり。善の本質はもっとシンプルで、そこに「ドキドキ」、即ち愛があるかどうか。そんな、強引ではあるけど力強いメッセージを感じる。
一方で、キュアエースとレジーナの和解が明確に描かれなかったのが残念だ。二分された魂が互いの愛を認め合い、許し合うことがこの回の象徴となるはずが、うやむやになった。
そういえば43話の回想でも、王女はキュアエースを「愛の切り札」と呼んでいた。自分自身を審判者と位置づけ、二者の戦いに対しては中立の立場であるはずの王女が、何故かキュアエースにだけ肩入れしている様にもみえた。
キングジコチュー撃退回。
キングジコチューの体内に入って、仲間がどんどん少なくなっていくのは、いかにも終盤って感じがしました。が、少女向けアニメでは無いような……
自分から身バレするプリキュアは初ですかな?ここら辺、ウルトラマンみたいな感じだと思っていたのですが……
最後の最後でベールがキングジコチューに。まさか、2作(ドキドキ、Goプリ)続けて当初のラスボス以外がラスボスになるとは思いませんでしたね。