百鬼丸は育ての親の魂の温かさを覚えていた。
寿海との問答は、百鬼丸が何かを考える端緒を生む種ぐらいにはなったかのよう。
そして寿海の言う通り、百鬼丸が人であるためにどろろは大切な存在であり続けるという因果なんだろうなと。
一方、多宝丸は領民を守るためと言いつつ心が鬼神化していっているような。
鬼神を倒すことが人生になっていて、人を殺めてしまっているから、修羅の道を歩ませる原因となってしまったんじゃないかって複雑な心中だよな。
人を殺めたのは人間らしさを取り戻したからともとれるから、時代も時代だしそこは許してやってほしいわ。
最後に感謝してるのが伝わってよかった。
めっっっっちゃ良かった。いろいろと考えさせられる回でした。菩薩の頭のくだりは天才だと思う。
最後の「おっかちゃんだ」も泣きそうになった
寿海の事をおっかちゃんと認識したのは、やはりどろろから学んだことだろうか
冒頭の再会のシーンから胸がいっぱいになりました。
旅を続けていく中で、百鬼丸にとってどろろがとても大切な存在に育っていたことが、この先の希望になって欲しいです。
そうだよね、百鬼丸。「おっかちゃん」で合ってると思う。血の繋がりや性別など超えた存在なのだということに、また涙が…
とうとう兄弟が相まみえることになるのでしょうか…
重たいテーマの作品なので、明るく元気などろろが居てくれないと観ている自分も寂しいです。。
寿海と百鬼丸の再会いいなぁ。百鬼丸の首の代わりが菩薩の首か。寿海ですら百鬼丸は救えない。百鬼丸に現状を受け入れろというのか
樹海は変わらず死者に対して手足を接ぐ。盗まれても、生きてる者に遣れと言われても我関せず。生を失った彼は死者に対して無意味な行為を続けるしか出来ない
唯一樹海が意味有るものとして育て上げたのが百鬼丸。しかし、百鬼丸の生き方は樹海に生を授けるようなものにはならなかった
本当の母親に会った際、百鬼丸は温もりや加護を与えられるものと思ったがそうはならなかった
そして今回、百鬼丸は樹海が与えようとする温もりよりも戦うための足を欲する
百鬼丸にとって意味有るものとは身体を取り戻せるものだけになっているかの如く
百鬼丸の生まれと望みを知った樹海は百鬼丸の生き方を危ぶむ。百鬼丸を救えずとも地獄に近づけないため足を壊す
けれど、この行動は百鬼丸にとって再びの拒絶となる。母からは救えぬと言われ加護を失った。樹海からも救えぬと言われ戦う足を失った
その後、百鬼丸の行く手を遮るように洞窟は閉じられる。しかし、百鬼丸はゆっくりすれば良いとの樹海の言葉を振り払い、身体を取り戻せなければ何の意味も無いとばかりに穴を掘る
そんな百鬼丸に樹海は問答を重ねる。その中で百鬼丸は血に塗れた人生において、それでも傍に居てくれたどろろの存在を示そうとするが、今は居ないという答えを返すしか無い
与えられたものでも、奪われたものでもなく、ただ傍に居てくれたどろろが今は居ないことが強調される
縫の方は自身の行動が無意味であったと悟る。菩薩を通して息子の無事を願っていたのに、菩薩によって自分の信心と百鬼丸の無事は関係なかったと知る
それどころか、醍醐の土地の終わりすら悟ってしまう
国の為に兄を切り捨てる判断をした多宝丸は変わっていく。あれほど母の愛を請うていたのに、母の快気に目を向けようとしない
それどころか妖を退治する場面では親子の情を利用する非情さを見せる
情ゆえに兄を救おうとした多宝丸はもうおらず、ここにいるのは醍醐景光の後継者に相応しい人間だ
樹海は百鬼丸を修羅の道に落とした自身を人に理不尽を働く鬼神であると考える。更に百鬼丸が名を尋ねても何者でもないと名乗らない。
そんな生を失ったままの樹海に百鬼丸は「おっかちゃんだ」と呼びかけ、自分と樹海の関係に意味を作り出す
その呼び名は樹海の人生に意味を見出すものとなり、樹海は生を取り戻す
この一連のシーンは樹海の涙も相まってとても素晴らしいものだった
おっかちゃんです
目が見えてなくても育ての親を覚えてるんやな
あれ、朝倉領に逃げてなかったっけ
国を越えて討伐するって事か
冒頭の感じからして、完全にまとめ回なのかなと思ったけれど、後半で戦闘シーンがあったので驚いた。
「おっかちゃんだ」はよかったね。
最後に、どろろのいる場所に百鬼丸が向かっているのは偶然ってことでいいんだろうか。離れて以降、所在は分からないので、事前に知りえないよね。
義足もったいない、、、
おっかちゃんだな
寿海を「 おっかちゃん 」 呼びする百鬼丸良かった
喋れるようになってもまだ色々な言葉を正しく理解するに至ってないから、家族のような存在はひっくるめておっかちゃんなんだね
一方、多宝丸は…あんなに良い子だったのになぁ
再会いいよね…。いい…。
みんな鬼神だぜっ!とか思いつつ、親代わりだったんだろうなぁ。複雑な感情ね。
百鬼丸と百鬼丸の育ての親再会のお話。。。よかったな、二人とも
再会から別れまで、めちゃくちゃ泣いた。
おっかちゃんだ。の後の、バカ、それは違うぞ…の涙が素晴らしかった。
EDもいい余韻
「知ってる、これが何というものか…。“おっかちゃん”だ。」
なんという泣けるシーン…!
百鬼丸は、どろろと過ごすうちに愛情というものを自分なりに学んだんだね…!ええ話や…(´;ω;`)ブワッ
結局おニューの脚もらえなかったな
さっきは妖にスルーされた樹海が襲われたときに、「生きている」を起点に解釈してみた
死人には義肢装具の心配りができるのに、生きている人には無関心。赤ちゃん百鬼丸は死人という認識だったのかと
で、その死人だった百鬼丸に「おっかちゃん」と呼ばれて、自分は百鬼丸に生を授けたに至って、自らも生きていると実感(百鬼丸から逆に生を受ける)して、妖に襲われるに戻る
樹海が百鬼丸に名乗らなかったのは、百鬼丸からどろろのことを深掘りしなかったのに対応?
どろろの存在が百鬼丸をギリギリながらも人間たらしめるものと、樹海は思ったんでしょう
2019.05.09
寿海が生きている人にきついのは、戦乱は生きている人が起こしている、死んだ人や負傷した人は戦乱を起こさないから、って考え?