ポップ、まじでキルバーンが言ってた通りのキャラに成長したなあ
信頼感ぱない
ヒュンケルは初めて人と自分のために生きようと思ったと。
バーン恐怖症になったダイ。まあ、神よりバーンが強いとまで言われれば無理もないか。
誰より自分の弱さと向き合ってきたポップだもんなぁ。勇者だとかドラゴンの騎士だとかは、本質的には他者評価的な名誉の称号なんだよな。当事者の人格こそが尊いことをポップがダイに説いた。このシーンは感動した。現実世界でもこれが分からず地位や名誉の下に自他の人格を貶める者の何と多いことか。
ミナカトールって人工甘味料みたいな名前だな。
レオナが五人目のアバンの使徒に。
ジャンプコミックス24巻収録分。
またこの重要回に、大胆に構成の変更が行われているなぁと。
恐らく、次回が「勇者アバン」であることと関連しているのだと思う。原作ではもっと早い巻に収録されている読切エピソードだが、フローラや勇者アバンのルーツとなる回想を、このタイミングで紹介するというシリーズ構成の意図はまことに理にかなっている。
この構成変更の影響を受けてか台詞にもたくさんの修正があり、良かったところも悪かったところもあり。特にフローラ、大破邪呪文の説明がちょっとあっさり目で、熱量の不足を物足りないと感じたが、そう判断するのはまだ早いかも。それらの台詞は、次回の回想のあとに改めて披露されると信じたい。
大魔王との戦いで、剣を折られたダイは戦意喪失したが、この件はまだ終わっていない。ダイの動機や、勇者や正義の意義を改めて見直す機会。その相手役は、本人も言っていた様に「逃げ出しに関しては大先輩」であるポップこそがふさわしい。
ダイはアバンの遺志を継いで大魔王と戦うことになったが、一方でダイにとっては隣人を救うことを初めとして、目の前の問題を解決し続けてここまで来た面が節がある。ダイにとっての正義とは大上段に構えたものではなく、こうした小さな善行を重ねることだったのかもしれない。もっとも、竜の騎士という大きな器を持っているダイにとっての「小さな善行」は、世界を救う規模のものになり始めていたけど。
「おまえはそんなものだったのか」という、北の勇者ノヴァの台詞がカットされている。ノヴァは確かに勇者としての独善を持っていたけど、自分なりの勇者イズムや正義についてはダイより深い理解を持ち、先んじていたのかもしれない。それ故、いまダイが直面している問題の本質を正確に言い当てた、「おまえはそんなもの」だったのではないか。
この一言はカットして欲しくなかったけど、ダイが皆の前に姿を現した時、ノヴァがみせた原作にない笑顔は概ね同じ意味と思う。従って、この件はこれ以上問題にはしない。
フローラは「自分に克てないような者では真の勇者とは呼べない」と言ったし、ポップも「おれたち自身の戦い」と言った。結局のところ勇者にとっての正義は、自身が正義と位置づけた信念であって良いのかもしれない。悪い言葉を使えば、要するにエゴや独善とも言い換えられるけど。
今までの「ただ隣人を助けたい」という気持ちまで変える必要はない。ポップが言った様に、たとえ心が折れることがあってもその初心は持ち続けることが大事なのではないか。
ポップとの「遅えぞ、お前」「悪い」という原作にないやり取り、いつもの2人らしくとても良い。今回の「とても良い」はこのシーンに対して。
レオナ、エイミさんついて思ったことがあったけど、彼女らについて語る機会は、近い将来それぞれにある。
あと、アバンのしるしについても。これらについては機会を改めることに。
このサブタイトルの意味だよな。ダイがもう心身ともに疲弊しきって気持ち切れちゃってる中、寄り添ってあげられるのはポップだけだった。ポップはこれまで肝心なところで逃げ続けてきたり、ヘタレだったりし続けてきたけどなんだかんだ毎回戻ってきた。ダイは無理に自分を奮い立たせてきた。ポップだからこそできる語りかけがすごく良かったね。この作品の芯はポップの心なのかもしれないな。勇者だから、ドラゴンの騎士だから、とかじゃなくてダイはダイとして尊重する。だからこそダイもまた踏み出せたんだよね。
ヒュンケルとダイが戦う理由を確認できた。
アバンのしるし、卒業後も守ってくれてるというのが素敵。
誰かにすがりたくなる状況下でも自分の都合を決して押し付けず、マァムにもダイにも相手の気持ちに寄り添って語りかけるポップの成長っぷりよ。ダメだと思ったら一目散に諦めていた彼が今では誰よりも希望を、いや自分自身の事を信じてる。彼をずっと見守ってきただけに感無量。
それにしても、ここに来てダイの心を挫くのが大魔王の恐ろしさとか死の恐怖とかでなく、皆の期待に応えられない事への恐れとは。ドラゴンの騎士は本来孤高の存在なので独りで生きていく事も容易だろうに…ダイあんた間違いなく人間だよ。
ポップ、レオナの背中がおおきいぜ。