まほ嫁7話。エリアスに対する想いが整理できず逡巡するチセが未だ恋を知らない少女らしくてかわいいですね。一方のエリアスの方が傷ついたチセに迷わず駆け寄る辺り徐々に心奪われつつある様子に見えました。
怪物の襲撃に「油断してた」というチセの一言が過酷な半生を想像させて苦しくなります。
まほ嫁6話。エリアスの怯えを覗き心を寄せるチセ。
また一方で魔法使い、魔術師、精霊や妖精、教会など相容れない複数の勢力がある程度の均衡を保ちつつ並立する世界が明示された回でした。そんな中些か「分かり易すぎる」悪としてカルタフィルスが登場しているのは気になります。
まほ嫁5話。君がいないと寂しいんだ…。愛する人に対する仕打ちを悔いるでもなくマシューは自分の気持ちを吐露しました。チセは愛と我欲の狭間で業の深さを感じ涙を流したのかもしれません。チセもまたエリアスを止まり木と思い主体は自分のままです。未だ遠い2人の関係を連想させます。
まほ嫁4話。己の力への不安、母たる存在に呼び起こされる記憶、望んでいた死-を希求する存在、姿を見せた魔術師。チセは大きく戸惑い揺れていました。エリアスとケガレの音の相似、またケガレの纏う猫の声も気になります。
希望を抱き始めたチセが直面する死、表情から気持ちを窺うのは困難でした。
まほ嫁3話。チセは両親から何も受け継がず自分もまた誰かに渡すものが無いと感じているのかな。そんな輪廻や循環の外にいるような疎外感を感じているようでした。彼女はいつも光を見つめていて自分自身は常にその外にある。ネヴィンの心のシーンでも直前で離れてしまうシーンが印象的でした。
まほ嫁2話。温もりに飢えているのに自ら踏み込むことはできないチセ。そこに構わずに穏やかに親愛の情を示す大人達の関わり方が心地よかった。「世界の美しさ」の一端なのだと思う。
シルキーが用意した服は髪や肌の色に合わせてあって眠るチセにこっそり当てている情景が浮かんだ。
好感触の序盤。
魔法使いの嫁1話。辛い境遇を生きてきたのにすぐに人を信じてしまうチセ、流されやすい性格に共感を感じてしまいました。埋められない寂しさから求められることに抗えないの性格なのかもしれない。
出てた料理はニシンのパイかな。それ以外も英国感全開のメニューだったけどとってもおいしそう。
第1クールの締めくくり。
前回杖をコツコツと仕上げながら自らと語り合った末に仕上がったそれの力を借り遂にチセは真正面から自分と向き合います。
心のうちにこもり自分だけを責めるのは、言いかえれば自分の世界に他者の存在を承認しない冷たい態度でもあります。ネヴィンの言う彼女に救われたあの人この人にしてきた事は全て「施し」になってしまい、チセに気持ちを寄せることを拒絶してしまうことと同じです。
彼女のいう「欲張り」は人の温もりを求める自然な欲求であって、それを引き出したのは多くの優しい「大人」達と何よりエリアスの愛情に他ならず、これまでの長い道のりを思うと感動が胸に押し寄せてきてつい涙がこぼれてしまいました。
チセはこれから自分を認め、赦し、愛するという永遠のテーマとも言える道を歩き出すのですね。その道を導くのではなく、共に歩いてくれるエリアスがいてくれることは大きな幸いだと思います。
火の鳥に姿を変え懸命にエリアスの元に帰るチセ、愛情たっぷりに受け止めるエリアス、駆けつける救護班の2人()のくだりで、こんなにも温かく優しい世界に生きていることに我が事のように喜びを感じてしまいました。
杖の美しい夕陽の色はチセの色であると同時に母親の色でもあります。母親に拒絶されたと傷ついていた彼女に、両親から無条件に愛された記憶が残っていたことは大切な福音でした。
壮麗な画面に彩られながらも終始誰にでもあるような身近なテーマを追い続けてきた本作、これからも丁寧に語られていくことを楽しみにしたいと思います。
冒頭でエリアスの言った「2つの感覚」のひとつはチセを求める気持ちなのでしょうが、もうひとつがおそらくエリアスが向き合わなくてはならないものなのだと思います。
この辺を軸にこれから進められていくのかもしれませんね。後半がとても楽しみな締めくくりでした。
『魔法使いの嫁』11話。リンデルのいう「エリアスから抜け落ちた何か」を埋めるのがチセなのですね。チセの思慕に対してエリアスのそれは渇望に近いように見えました。小鳥はエリアスが…ということですかね。育まれてきた関係に変化がありそうです。2話続けてなかむらさんコンテ。美しい俯瞰でした。
エリアスのチセに対する告白、これまでの道のりを思いつい涙が出て出てしまいましたがエリアス自身はまだその感情を愛だとは理解していないんだろうな、とは思います。ひどく戸惑っている感じでした。
初めてアバンの入った回。
エリアスの元から初めて離れるチセでしたが、2人の不安や心配が繰り返し描写されていて、前話でグッと歩み寄ったことからの寂しさが強く印象付けられていました。
チセ・エリアス共に自分のことを語るシーンがありましたが、いずれも会話の相手ではなく炎を見つめているあたり正直に心の内を明かしているようには見えませんでした。
姿が小さくなっていることもありますが戸惑うリンデルの元から1人旅立とうとするエリアスの姿は、心を許しかけて拒まれた寂しい子供の姿のようで哀れでした。
とはいえラハブからかけられた言葉、与えられた名前とペンダントは彼の心に大きな意味を刻んだに違いありません。
そして、家の中に招き入れられるときに差し伸べられたラハブの手はエリアスに向けられた初めての温かい感情に見えましたし、そっと頭に添えられた名付け親の手はいつもチセにする仕草そのままでエリアスにとってとても大切な儀式だったのだなあ、と感慨深かったです。
ラハブ役は三石さんでしたが、落ち着きのある力強い優しさがしっとりと伝わってきて流石の演技でした。
不穏なエピソードが続いた後の日常回。
強く結びついたチセとルツの関係が心地よく描写されていて自然と腑に落ちます。こういう描き方がこの作品の好きなところ。
一方で縄張りをパトロールしてしまうなど犬としての習性がしっかりと印象付けられているところが良かったです。エリアス捜索の時にとても入れそうにない壺の中を覗いているところとかポイント高くて気に入りました。
今話は家、街、村、農業地、森など多彩な舞台がいつも以上に美しい背景に彩られていて視覚的にとても気持ちよかったです。
主人公2人の不安定さや周囲の不穏さが暖かい風景に包まれているというのが作品の安定感に繋がっているのだと思いますしやはり重要なテーマなのですね。
今回はチセの少女としての側面 ー(辛い境遇があるとはいえ)思春期にありがちな思い込みや揺らめきー が吐露される一方で、エリアスの前では女性としての側面が強く出ておりその転換が彼女の「普通さ」を際立たせていました。
またエリアスもつらい時にそばにいてほしい心境や見たことのないチセの表情に興味を持つところなど異形である姿とは対照的にやはり「普通」の男性として描かれていたと思います。
その点でリャナン・シーの登場が意味深かったと感じました。明らかに「愛」と思われる感情を抱いているのにも関わらずそれが認められない、種族としての愛し方ではないことがそれを妨げている様子は其々に歪さを抱える2人の様子とそのまま重なります。
嘆息するルツの感じている通り、あからさまに愛し合い求め合う2人は愛し方が、愛され方がわからないだけなんですね。もどかしいながらも可愛らしいなと思います。
さて、今話はシルキー回でもありました!
チセに対する深い愛情、声は勿論表情にすら出さないのに感じる思い遣り。優しさや情の深さが溢れ出るようで誰もが好きになってしまいますよね。あのハンマーはどこにしまっていたのでしょう。
陽の光を浴びた銀の君は本当に美しいです。
いろんな意味で幼い夫婦をそっと支えるシルキーとルツ。2人の有能さと思い遣りが心に沁みる良回でした。
「片付けたほうがいいものとそうじゃないものの違いがわからない」
僕には11話のこの六花の一言がとても胸に沁みました。葛藤の中で自室の宝物たちを懸命に選びとって片付けているときに思わずこぼれる言葉なのですが、自分にとっての大切なものが世間から見てどういう風に見えるのか、そんなこと誰にもわからないのですけど-なんとなく-なおざりにしている、そんな感覚が濃密に詰まった一言に思えました。
最後の芳忠さんのナレーション(1話ぶり!嬉しいー)「それは人の中で生まれてから死ぬまで延々と繰り返される、果てしなく繰り返される、哀しくて恥ずかしくて愛おしい自意識過剰という名の病。自分という名の避けては通れぬ営み。そう、人は一生中二病なのだ…。」で語られた通り、所詮は程度問題で誰もが生涯抱え続けるものなのですよね。
とりわけ中学生期の前後は周りの目が気になる頃でもありちょっとした変わった行為が目につきやすく「中二病」という言葉が生まれたのだと思いますが、好きなものに邁進することそれ自体はなんの不思議もないことですし、ある程度年齢を重ねると他者のその行為に寛容(無関心)になり許容できるようになっているだけだということも多いのだと思います。
とかくからかわれることの多い「中二病」問題を京アニのかわいいキャラクター達が演じることで巧みに緩和し、誰にでもわかりやすい形で着地させてくれた良作だと思います。
また、女性キャラクターがとりわけ魅力的な作品だとも思いますが、丹生谷モリサマーの前に凸守が現れたことでそれまでサブ感溢れていた2人が強力な魅力を放ち始めるところが個人的なおすすめポイントです。対になることで魅力を放ち始めるといえば誠の前にくみん先輩が現れた時もそうだったのですけどそれは誠の方だけで、くみん先輩は端っから魅力全開だったので次点の関係とさせていただきます。
笑いを誘う場面では声が出るほど、シリアスなシーンでは嗚咽が溢れるほど前後半で振れ幅の大きい作品なのですが、前半のコメディのエッセンスが後半になって効いてくるところも重要なポイントですので楽しみに鑑賞していただきたいと思います。
年明けには劇場版の新作も公開されることですし心から楽しみに『戀』を観ながら年末が過ごせそうです。
好評価を受けての鑑賞でしたが期待に違わぬ良作品でした。
(ずいぶん現代的な絵だな…)という印象だったのですが、いざ動いてみると随所に大和先生らしいタッチが表現されていてとても懐かしく違和感なく鑑賞できたと思います。紅緒や伊集院少尉は自然なアレンジが良かったですし、花村少佐(父親)、ばあや、如月あたりは原作そのままで大和先生の世界へと自然と誘ってくれるデザインだと感じました。
僅か97分の中で(原作が手元に無いので確認ができないのが残念ですが)どこを削ったのかパッと浮かばない程自然な流れでした。ストーリーの主要部分や各キャラクターの紹介部分などにはきちんと尺が使われていた事もあり違和感は殆ど感じないと思います。何よりシリアスパート以外のアッケラカンとした雰囲気が失われておらず作品世界に没頭することができました。
そして最高だったのが早見さんの演技。知らず知らずのうちに少尉に心惹かれてゆく紅緒が本当に自然でお見事でした。家宝の皿のシーンでおじいさまの前に立ちはだかる演技は、元々そういうところが彼女の持ち味とはいえ凛として美しく心震える思いで観ておりました。これ以上ないキャスティングとそれに応える名演技だったと思います。
子供の頃に熱烈に読みふけった作品でもあり受け入れられるか心配だった中での鑑賞でしたが、少なくとも私には楽しく、嬉しく、懐かしく感じられました。是非劇場に足を運んでいただきたい作品です。
(補足)
作品のスパイスとして好きな方も多いであろう「酒乱童子」や「おひきずりさん」もきちんと出てきますのでお見逃しなく(笑)