軍のトップと過激な右翼が癒着……
大政翼賛会的な全体主義的方向に傾きつつあるってことか。個人の生命が国家のために犠牲にさるべきというのは、典型的な全体主義。万暦赤絵は清朝万暦帝の頃だから、この作品の時代設定からだと2000年以上前の代物ってことになりそう。
原作者の歴史への眼差しが垣間見える。
ショタみが深い。
原作旧作知らないから、ラインハルトとキルヒアイスの生い立ちと目的を描いてくれてよかった。知らないが故に不足感や違和感を感じようがないし、こういう過去回無しで進行されるよりありがたいとさえ思う。
セリフ回しが巧み且つ優雅。
互いのケツに食らいつく陣形になるとは思ってなかった。
無能上司の言うこともそれなりに真っ当なではあるなと。ラインハルトとヤンが有能すぎるだけかと。
結局、帝国側の電子攻撃で連合側の通信とシールド展開が不可能になっているようなので、用兵云々より電子戦の方が勝敗を分ける肝なのではと思った。
艦隊戦のグラフィックがワクワクする。
原作未読、旧作アニメ未視聴。知識ないけど、昔よくアニメージュに載ってたのでラインハルトとキルヒアイスとヤンの名前ぐらいは知ってる。
グラフィックがかっこいい。
正面と右辺の敵艦隊に勝利できたのは、各個撃破作戦云々よりも、通信を遮断してシールドさえ張れないようにしたからだと思うんだけど、敵も通信を奪われないように技術的に対策してるだろうし、簡単にできることじゃないと思う。そのあたり、どうやったのか説明要素がほしかった。
最後に残った敵艦隊に紡錘陣形で突入したラインハルトが慌てたのは、ヤンが艦隊を散開させて包囲する作戦に出たからだと予想してみる。
てつはうきたこれ。
宗助国(資国)は武士として散ったと。
佐須ノ浦の戦いについては、大体歴史上伝わってることと一致していたかと。あとは多くの島人が殺されたか捕虜になって一人も助からなかったという当時の風聞を日蓮が記しているぐらいしか記録がない(博多からの援軍が来たという記録もない)ので、おそらく惨状を極めたであろう佐須ノ浦以降の対馬を舞台に今後の物語が創作されて展開されていくって感じかな。
座敷童子ツインズはそのままで可愛いってば。
言葉がフィーリングかきっちりかって問題は、時と場合によって使い分けたい派。つまり両方必要と思ってるので、僕は鬼灯様に近いかも。
政令指定地獄とかあるのかw
全編通して面白かった。ずっと見ていたいぐらい。僕もこの地獄で働きたい……けど、わりと就活大変そうだし、普通の人間は亡者として延々と苛責を受け続けるのかと思うと、微妙……。
上坂すみれさんのED好き。
冒頭で閻魔大王が読んでる地獄新聞の一面トップ記事が面白い。「若者の間で流行 -度胸試しによる似髯虫被害が問題に」とかw
現代の瘟鬼がヒキニートだったw
コンピュータウイルスは疫病扱いかw
チベスナw BBCが撮影に成功したのが2006年だったっけか。
シロのおバカっぷりと鬼灯様への懐きっぷりがますますかわいい。そして忠犬でもあると。奢ると言う直前の鬼灯様のクールな横顔に感情を想起させる演出がよかった。
まだキャビンアテンダントという言葉が定着してなかった頃。
スチュワーデスの名前がちえみ……あ、察し。
「おきゃん」は活発な女性を表す言葉らしい。
やばいのが集まってきたw
道場に乗り込んできた奴は、仕込み針使ったりガタイの割にトリッキーだけど、蹴りと突きをもらって倒れてたし、純粋な強さはそこそこなのかも。
体育教師は基本アホだと思うけど、最後の1500m走で多少バキの身体能力に気づいたのかな……
えりかはコフレを大切に思っているけど、生活の怠け癖は抜けないと。のび太くん的で好き。
スナッキーのような戦闘員が出てくるのはこのハトプリだけのような。そのスナッキー達しか敵が登場しない貴重な回。
ここまでおねショタに振り切ったアニメはかのこん以来というか以上というか。
エロさよりバブみが強い。そしてかわいさはあっくんが最強のような。
会長は生徒会の一存とダダ被りだけど、好きな属性ではある。
アシダカグモは本当怖い。古い家に必ずいる印象あるから、古民家とか住めない。
ヒロインがチョロいw
個人的に露骨にエロいシーンは要らないかなー。そこにあんまり尺使わないで設定と話の内容にもう少しボリュームを持たせてほしい。中二に届いてない小五ぐらいの感じ。
東京五輪批判わろたw
一般人?を石化させてもいいのか……
メデューサちゃん、ダメ男吸着属性かw
邪神ちゃんはクズいからゆりねに何されても憐れみを感じないw
もう少しテンポが欲しかったかな……。
キャラデ、川村敏江さんだ……
原作はゲームかー。実に中二臭くていいぞ。
赤い霧のこちら側と向こう側とで通信はできるのかな……ていうか往き来できないなら物流が遮断されて生活できないのでは。
い、一体何がどうなってんだ!?
「自分を変えることが必要」という発想は欧米的だなぁと。人間は自分と向き合って自覚していなかった負の一面を受け入れて克服することで変わることができるという、完全性を目指す価値観。ところが、例えば橋田壽賀子の「渡る世間は鬼ばかり」の登場人物達は対立ばかりしているけれども、結局最後にはお互いを「部分的に」受け入れることで調和していて、どこまでも行っても人それぞれの本質(性格)は大して変わらないもので、それでも妥協し合うことで幸せになれるという扱い方をしていて、日本的だと思う。
つぼみの「皆との繋がりのおかげで少しずつ変われている。新しい自分を作って行ける」というセリフは、共同体意識を持つことが勇気を持って前向きな気持ちになりやすいことと、成長とは自己形成であるということを示していると思う。これは近現代の西洋哲学に通じるものがあり、自分を変えることが必要か否かという単純な次元を超えているようで素晴らしい。ラストでつぼみは、自身のシャイで引っ込み思案な一面も必要だと結論付けた上で自己形成を遂げていこうとしていることを示していると思う。つまり、「自分を変える」ことが自己否定を経て別の何か素晴らしいような自分に変貌することではなく、過去の自分を受容して内包しつつ成長していくこと(自己形成)であると示されているかと。
「自分を変える」というワードからは自己否定が想起されかねないので、安易に使うべきではないとは思うけど、視聴対象年齢層を考えると致し方ないかなぁと。
1話より面白かった。
ブラッディバタフライエフェクト爆笑したw よくそんな通学エピソード思いつくなとw
真奈菜、他に類を見ないレベルのクズ類友w
そうか、ランニングしてたら社長に成りすましできるのか……
細川さん天使か。
屋根伝いに歩けば普通に目立つと思うけど……漫画アニメでありがちな、空や天井に人がいても誰も気づかない前提か。
ちおちゃん、痛々しいまでに間の悪いコミュ障……w
通学路だけでネタを展開していくの大変そう。