サービス開始日: 2019-01-14 (2518日目)
アンガーマネジメントの逆を行く超ブチ切れの仁菜。
感動的な雰囲気からギターを掻き鳴らし始める仁菜、呆れるすばる。めちゃくちゃなシーンだが最もガルクラらしくもある。
退所します弁済しますというのは悪い言い方すると実に子供っぽいケジメというか、物語的にはプロ目指すんじゃなかったのって話だが、つまり信念はそれよりも尚重要だったということだ。
そしてヒナと分かり合ったり、「へそ曲がり」に歌を伝えたりする。絵に描いたような「大成功」なんて無い、がそれだけで十分じゃないのか?
ただ最後の曲は仁菜の声のパワーをもっと活かして欲しかった気持ちが強い。ここさえ決まっていれば最終話としてカタルシスがある感じになったんじゃないかと思ってしまう。
花音の過去の開示もありつつまっすぐに曲を作り上げる。
サンフラワードールズの口上のところは楽屋挨拶回りなのか? メロは若干表情がぎこちないようにも見える。
姉をあやしたり家事をしたり母性の回(?)だった
ニコニコ一挙放送にて。やはりテンポが抜群に良くバトルも素晴らしく、どのキャラも心理の変遷をセリフから極めて仔細に追えるようになっている。(初見ではほむらが一番際立っているのではなかと思うが、しっかり観るとまどかも「マミさんみたいになりたい」「さやかを助けたい」「全ての魔法少女を助けたい」と非常に丁寧なステップを踏んで願いが形成されているのが分かるだろう。)声の芝居は入魂と言う他なく、動きの芝居も各所で凝っている。「シャフト的」演出も心理描写として実に有効に働いている。キュゥべえがあくまで悪意ではなく(ある種の)合理性で動いているのはドラマ的に重要な点だが、あまりフォロワー作品が意識していなかったのが残念だ。
個人的にはこの作品こそが萌えキャラに魂を吹き込んだと思っている、歴史的作品。神。
「現代版天岩戸」を文字通り実践。まちカドまぞくの天沼矛とか日本神話モチーフの話、良き
このモデルで人気あるってそうとう話上手いぞ…。
完璧なEDの入り、そしてちゃんとイラスト枚数の少ない草の根MV。拍手だ。
「クソ優しい顔で蝕んでくる」
サウンドチェックでドラムの(2D作画だったら人が死ぬんじゃないかというモーションと)音だけが流れる中クレジットが始まる、既に最高なのだ。
でも鍵に関してはマジファックだよねと思ったらちゃんと指を立てていた。
飛んでいるのか落ちているのか分からないけど「帰る地面はないし、もう戻りたくもない」「今の私が一番好き」やっぱ仁菜の台詞が最高だしキャラとして作詞の才能にも繋がっていて良い。自由だけでなくどこか刹那的・破滅的。
姉はちょっと心理分かんないなという感あり。
歌上手すぎるのでギター弾く必要あるんか? とちょっと思うがチェーホフの銃的にはまあ弾きたいか。
仁菜がひたすら尖ってたので智で良い具合にバランスを取れそう。
「だよな」不安が喜びに変わる瞬間、絶妙の間。
あと冒頭「今の好きですけど」動きの芝居がかわいい。
「自分の想いを、喜びを、怒りを、悲しさを、誰かに届けたいからバンドを始めたんですよね」「ここにいるんですよ、あなたに勇気づけられ、元気を貰い、あなたがいたから飛べた人間が」
「決まってるじゃないですか…告白です」
最高の台詞と芝居。オーディションに時間を掛けたらしいがそれにしてもよくこんな新人がいたものだ。傑作回。
このクオリティならダイダス対面のシチュエーションのごちゃつきは味の範疇だろう。
あとは「軽蔑できます」のところは良い具合に闇が出ている。その後の目を瞑る表情はかなり2D調にしていて面白い。
数字は自然と得ているあたりアテンションエコノミーの話はしないというのが分かりやすい。
仲裁するすばるにも(気遣いで出してくれた)烏龍茶をお見舞いする外道振り。だがそれでいい、全て最高の歌になるのだから。
やはりライブシーンが素晴らしく、曲の前の野次だとか、フォーカスが一瞬遅れたりサビ前のハレーション?とか、あとは3D特有の細かいモーションも極めて表現を豊かにしている。個人的には曲中ももっとノイズがあっていいと思う。
業務連絡~から歌い出すまでのシーケンスがあまりにもこの手のライブの最高の体験を描き切っている。やや内輪っぽいMC、それに乗る緩いレスポンス、手馴らしの楽器の音、ドラマーの合図、全てが素晴らしい。こうして仁菜の鬱屈(赤いエフェクト)はロックへと昇華される。
傑作回。
お店抜け出すまでは穏やかに見ていたが泣き出したところで本当に怠い奴じゃん…と強火の脚本にたじろいだ。というか周りが人格者すぎるな。
家庭環境の呪いもなかなか強火で夜クラのアテンションエコノミー的なそれとの対比が面白い。
これは青春の物語だ。二人で漫画を描きまくった日々、あの燃えるような青春の。
if世界でも結局一緒に漫画を描くじゃないかと思うかもしれない、だが再会の場面の熱量の対比を見よ。大学生で出会った二人が背中にサインを貰い、雪の中のコンビニで当落を見て、寝ても覚めても漫画を描き続ける、あの日々が過ごせるだろうか。
だからあの青春はここにしかない。京本が死んだこの世界、藤野が漫画を描き続けたこの世界にしか。
未来ではなくその過去にこそ、藤本が漫画を描き続ける理由がある。だから『ルックバック』なのだ。
天才と凡人だとか作者と読者だとか二人を対比させる論をいくつか見たが、個人的には全くそういう構図には見えなかった。
重要なのは藤本がステップアップの構想を語る場面で、これはそこまでのイキり勝ちな言動からすると「見栄を張ってしまいました」となりそうに思える。しかし実際はスムーズに進行し(一年掛かりとはいえ)受賞にまで至る。藤本は間違いなく話を作る面において天才であり、二人は全く対等なクリエイターと見て良いように思う。