<評価:S>
視聴2024.3.27
評価 SSSS 95点
dアニメに来てたから見た。母親の愛情がでかい。めちゃくちゃ感動する。長命種族とただの人の親子関係の移ろいがどこか無情と温かさのコントラストが効いていていい。ラストもただのハッピーエンドじゃなくてグッド‼
愛には二つの種類があると思う。一つは純粋な真っ直ぐな愛、もう一つは嫉妬のような拗れた愛。
これは、そんな愛を確かめるための物語。
時間という経糸と人の生業という緯糸からヒビオルを織るイオルフ。彼らは別れの一族と呼ばれる。長命の彼らが一族の村を飛び出してしまえば、そこにはたくさんの別れが待っている。なぜなら、多くの人からそれは異端と排斥され、あるいはたとえ愛してくれる人がいても私たちよりずっと早く旅立ってしまうから。
「誰も愛してはいけない。愛すれば本当の一人になってしまう」
そして、長くて短い数奇な運命が幕を上げる。
イオルフの一族のマキア、彼女は孤独だった。村を破壊され、拠り所もなく。そんな中で、彼女は自分と同じように母を失った孤独な赤ちゃんを見つける。一人ぼっち同士の出会い。その子・エリアルは、マキアにとっての「ヒビオル」。その子によって、たった十五の少女は「母」となった。
そして、いつまでも老いることのない母に対して、みるみる大きく育つ息子。マキアはそんなエリアルがだんだん大きくなる姿を見て、「このままずぅーっと大きくならなければいいのに…」とつい思ってしまう。だけど、エリアルは「ヤダ!おっきくならないと、母さん守れないもん!」と応える。その時、マキアの目に滲む涙の色は何色をしていたのだろうか。エリアルが大人になっていくことを止められない寂しさの深い藍なのか。それとも、愛した分だけ愛が返ってきてくれたことへの喜びの淡い水色なのだろうか。ただ、その頬を伝うものの正体が愛であることは確かなことである。
だから、独り立ちしていく一人息子を、いつまでも小さな子どものように扱ってしまう。そうしないと変わりゆく息子の背中に寂しさを募らせてしまうから。そうして、いつまでも息子というのは息子であり、変わることのない無際限の寵愛を注ぎ続けられるのだ。
一方で、息子・エリアルの想いは母のような真っすぐなものではあり続けられなかった。母の愛を受けた身体と心はどんどんと大人になっていく。変わり続けるエリアルは次第に母からの無償の愛を真正面から受け止めきれなくなって、はねつけてしまう。彼はもうマキアを「母さん」とは呼ばない。
それどころか、マキアが実母ではないことと、幼い頃から変わらない美しい母親の姿がさらなる捻れをもたらす。きっとエリアルはもうマキアをただの母として直視できなくなっていた。彼女との間に血の繋がりがないと知った時、どうしてマキアは自分のことをこんなにも愛してくれるのか、マキアの愛をどう解釈したらいいのか分からない。
その真意ははっきりとは描かれない。しかし、「俺はあなたのことを母親だなんて思ってないから」という言葉に秘められたエリアルの心中は、マキアを母という存在を超え、一人の女性として愛してしまいそうになっていたように映る。そして、だからこそ、エリアルはマキアの許を巣立つのだ。母を母のまま愛し続けるため。
そして、彼は父親となり、妻のディタや住み着いたメザーテの街といった新しい場所に愛の拠り所を見出していくのだ。
そんな母子の別れの裏で、マキアが攫われてしまう。その犯人は同じイオルフのグリム。彼は「ヨルフの一族同士、一緒じゃなきゃダメなんだ」と言う。「人々に裏切られ、別れを突きつけられ続ける僕たち、イオルフは共に居なければいけない」と。だがしかし、そのグリムの愛そのものが、マキアにとっての「孤独ではなかった」過去、エリアルたちとの幸せな日々を否定するものであるのだ。
強引に囚われた果てに望まない妊娠をさせられたレイリアを救出しようとした先でも、また彼は突きつけられる。確かにレイリアにとって、娘は望んで産んだ子というわけではない。でも、今は愛おしくて仕方のない最愛の存在なのだ。
イオルフの村にいた頃からずっと愛していたものが、今は自分を愛してくれないこと。それをグリムは受け入れられなかった。果てしない長命を生きるイオルフにとって、変わることのない愛が変わることを理解できなかった。
しかし、変わらない中にも変わるものがあるのだ。グリムが幼い見た目のままにその心も変わらなかった一方で、マキアとレイリアは外の世界で出会った者を愛し、それと共に彼女たち自身も少しずつ変わっていったのだ。
別にどれが良いとか悪いというわけではない。糸だから、真っ直ぐなものもあれば、時には捩れたようなものもある。すれ違う愛というのも、別に哀しいことではない。そういった糸が機織り機の上で重なり合い、時にすれ違い、でも結局は一つの布に織り上げられていく。それがヒビオルであり、人生となる。
産気づいたディタを見つけて助けるマキアがそうだ。エリアルが自分に代わって新たに愛したディタとその子のことを、マキアはエリアルと同じように愛する。そして、産まれた子を見て、マキアはエリアルと出会った日のことを思い出す。これこそが連綿と編まれる「私のヒビオル」なのだ。
そして、エリアルと再会したマキアが言う。「誰かを愛するという気持ちあなたが教えてくれた。そして、私と一緒に生きてくれるから、苦しいことも辛いことも和らいでいく。そうやって、あなた自身が私のヒビオルになって、エリアルのことを思い出せば、私も自分のことを思い出せる。そうやって今の私を織り上げてくれたのはエリアルだから。」
マキアは本当の意味でエリアルの母親にはなれなかったかもしれない。だけど、エリアルと一緒に過ごして共に同じ感情を共有してきた時間が、まさに母子のように、いやそれ以上に一体だったのだ。そして、その中で育まれた絆がいつだって心の中でマキアに勇気をくれて、守っていてくれた。「あなたに愛されている私」というアイデンティティを教えてくれたのだ。だから、マキアはエリアルの新たなる幸せを願って、彼の妻と娘が待つ新たな居場所へと送り出す。
愛すれば愛する程に、その人の幸せを願って別れなければいけない時が来る。だけど、それは哀しいことではないのだ。なぜなら、愛にはカタチがないから。たとえ別れようとも、その心に織り込まれた愛は生き続けるから大丈夫。
だから、愛とはすべて丸ごと愛することなんだと思う。それは私を愛してくれるあなたのこともそうだし、私ではない誰かを愛したあなたという存在も引っくるめて、あなたのことを愛していることなんだと思う。だから、愛し合って同じ道を生きてきたけれど、途中で道を分かたなければいけない時も笑顔で送り出せる。
また、愛することというのは、愛した相手によって形作られた自分自身を愛することにもなるのだと思う。どうしようもなく忘れられない愛の想いが、愛したあなたという存在を私の中で生かし続ける。だから、一人でもあなたと共に苦楽を共に分かち合える、本当の意味で一人ぼっちじゃなくなるのだ。
そして、何よりも他の誰よりも長く生きて、他の誰よりも愛した者に別れを告げられなければならないヨルフの一族だからこそ、この深遠なる愛の形に出会えたのだと思う。
だから、この最後の場面が待っている。あれから何十年の時が経ったある日、相変わらず幼い少女の見た目をしたマキアはエリアルの許を訪れる。もう彼はすっかり老いて衰弱しきっていた。わかっていたけれど、マキアはやっぱり母としてずっと一緒にいてあげたかった。だから、もう老いて旅立つエリアルの姿が悲しくて、苦しい。でも、たとえあなたがいつかこの世から旅立つ日が来ても、私が生きている限りあなたのヒビオルは続くことを彼女は知っている。
時の流れの中で出会っては別れることを繰り返しながら織り上げられるヒビオル。その別れの先には新たな出会いが待っている。顔を上げれば、そこにはマキアが助産したエリアルとディタの娘がいて、すっかり母親になっている。そして、そのまた娘も村を駆け回り、無邪気にマキアに話しかけてくれる。この全部、全部をエリアルとの出会いがくれたのだ。
かつてヨルフの村で長老は言った。「誰も愛してはいけない。愛すれば本当の一人になってしまう」と。だけど、この苦しいだけじゃない別れに、マキアはエリアルを愛して良かったと思えた。愛したことで人生が、世界が広がった。そして、愛と別れを経験する中で生まれた新しい出会いがさらなる愛を繋げていくのだ。
別れの涙が空へと舞い散る中、彼女は再び歩き出す。笑顔で新たな出会いと愛を求めて。
2023/2/28 5周年記念上映 at 新宿ピカデリー シアター1にて初鑑賞
極度の疲労の中行ったので寝ないか心配だったけど、そんな暇一切なく大号泣。
いつ見ようか迷っていたけど、再上映にて大スクリーンの迫力ある音響で観られて良かった。
P.A.WORKS、水の描写だけじゃなくて空(雲)の描写も本当に素晴らしい。
5周年記念上映@イオンシネマ海老名7番THXにて2度目の映画館での鑑賞。
このシーン明らかに泣かしに来てるよな〜というカットがいくつかあると思うのだけれど、わかってても涙がボロボロ流れてしまう、個人的に涙腺にクリーンヒットする作品だった。
お母さんって呼べたじゃねえか…
異性間恋愛は実体験が無いけれど、ありがたいことに親の愛情はいっぱい貰って育てられてきたと感じているので、そういう面でもより強く共感できるのはあるのかな〜とも思った。
岡田麿里脚本のエグさ(と呼んで良いのか)は継続して摂取するとちょっとウッってなることもあるけれど(凪あすは大好きだけど!)、その点映画1本で見るのは丁度良くエグさを摂取出来て良いのかなぁなんて思った。
東地さんの呟きを見る限り、岡田麿里監督脚本の新作はまだまだ制作途中なんだろうなと思った。メインアニメーターの井上俊之さんはまあ参加されないと思われるのでどういうアニメーターの集まりになるのか…そういう面でも今から楽しみ。
5周年記念の劇場上映を鑑賞。
圧倒的な「母になる」ということ。「母である」ということ。親は子のために何をしてやれるのか。たぶん、この映画は観た人の立場によって大きく感想が変わるタイプの話だと思う。人の親になったことのある人であれば平常心で観られないであろうシーンがかなりあった。
岡田麿里さんの作品をちゃんと観たのはこれが初めてなんだけど、予想以上に生々しい作風、感情をえぐるタイプの物語だなという印象。作家性が強い。個人的にはあまりクリエイターの性別と作風を結びつけたくはないんだけど、今作は特に「母親」を経験した者だけが辿り着ける境地のようなものもあったような気がする。子供を産み育てるという、人類の半分が経験しようのない境地をある種疑似体験させてくれる作品でもあった。本作には実にいろいろな「母親の在り方」が登場する。マキア、レイリア、ミド、ディタ。このうちマキア自身は出産を経験していないこともあり、より普遍的な描き方になっているように思う。レイリアやディタをめぐる描写は結構生々しくてちょっとぎょっとするところもあったけど、きっとそこに「母親のリアル」があるのだろう。
そして母親になったことのない、なりようのない人間であっても、確実にわかることはある。誰だって、母親から生まれているからだ。自分の母親に対する感情は人によって千差万別だろうけど、彼女が感じていたかも知れない感情をこの映画から想像することはできるし、エリアルの苦悩も感じ取ることができる。やはり「父と子」とはどこか違う関係性を感じる。
「母親性」と並行して、イオルフの長寿という設定がまた心をえぐる。イオルフは何も変わらないのに、時は過ぎ、エリアルたち人間はいつしか勝手に大きくなり、いつか親から離れて彼らの人生を歩んでいき、さらに次の世代に何かを伝えていく。永遠なんてものはなくて、いつか別れの日が来る。それでも親は子にとってちゃんと親であれたのだろうか。子は親の人生に何かを与えることができたのだろうか。たぶんお互いに自問し続けるのだと思う。
登場人物の行動原理がかなり感情ドリブン(しかもわりとドロドロした重い感情)なので、プロット全体としては気になる部分もあった。これは自分がキャラより物語構造のほうが気になってしまいがちなせいもあるかもしれない。ただ、その分、キャラの声にならない叫びや慟哭のようなものが強い力で物語をドライブしているのが感じられた。また音楽と美術が本当に美しかったので、大画面で観て良かったと思う。
映像も素晴らしく、親子愛について色々と考えさせられました。
惜しむらくは5年後、10年後にこの作品のタイトル名を思い出せるか自信がないです。
ガチのオススメ
人と人が出会ってしまったら、辛い別れが待っていたとしても関わらずにはいられない。大事なのは"別れ"という結果ではなく、一緒に過ごした時間や思い出なんだと教えてくれる作品でした。エリアルとマキアの思い出が走馬灯のように駆け巡る終盤のシーンは涙が出ました。
多分映画館以来の視聴
泣ける!!!!
人の一生の短さ 儚さ
お母さん
人との別れ
#PAWORKS
母のあり方とか愛を考えさせられた
泣いた
様々な別れが描かれていて、やはり別れというのは辛く心を裂くようだったんだが、忘れなければ終わらないという最後の言葉は一つの救いになった。
別れるために出会い生きていくのだから、別れは恐れるものばかりでもないな。
終始泣きそうになりながら見てた。
マキアとクリムの距離感に共感得過ぎて辛すぎて映画館で死ぬほど泣いたし、感動するとこめっちゃ感動したので観終わったあと魂抜けてた
これ観ずに今年のアニメ映画語れないって勝手に思ってる
岡田麿里成分120%だった。リアルで生々しい人間関係や激しい感情の吐露が特徴の氏のストーリーテリングが完璧に引き出されていて,過去の作品を思い起こしながらひそかに笑顔になってしまった。でありながら,優しく奥行きのある映像や音楽がしっかりと感動を呼び起こしてきた。ともすれば情動への訴求ばあかりになり過ぎるこういった話に,イオルフと竜との対比といったメッセージ性のある仕掛けが散りばめられて,一貫性が出来ていたのも面白かった。
綺麗とか優しいとか、可愛いだけじゃない。指から引き離すシーンとかやけに音がリアルで残酷だし、嫉妬とか妬ましい気持ちもあった。でもそれ以上にマキアの献身的な想いとと、エリアルの成長過程が素晴らしくて...よかった..よかったなぁ。
18/03/11
18/03/16
とてもスッキリ見れる映画でした。
凄くちんこにきました
色々都合のいい展開やマクガフィンは多かったが描きたいテーマのためだと感じたからそれでいいのだ。描きたいシーンを効果的に描くのが大事だからな。
テーマは「別れ」なんだろうと思う。
マキアとエリアルに多くの時間を割いている割には最期があっさりしすぎてたし、他のキャラへの感情移入の導線が少なかった事と各キャラの締めくくりが物足りない印象。もっとそれぞれのストーリーを掘り下げても良かったのでは。
キャラデザとしてはミドさんは吉田さんの原案に近いっぽくて好きだったけど、その他のキャラがどうも。。特にマキアの表情が個人的にピンと来なかったのが結構大問題だったかも。
しかし東地さん目当てと言っても過言ではないので、美しい映像には大満足。キャラよりそっちばかり見てしまったし、それだけでも見る価値があると思う。戦場のシーンの動画も迫力があったし、P.A.WORKSの新たな一面を見れた気がする。
こういう展開で、悲劇にしないのであれば、こうなるんだなという目新しさはあった。
何より世界が綺麗で、見とれてしまう。
クジラと似たような話?観た後の読後感のようなものが強い。
なにより、入野自由の「アイシテル」が極上でした。。
「別れのある人生は素晴らしい」という(自分が感じた)テーマは素敵だと思ったし、背景作画、そして特に音楽は素晴らしいものだった。
しかし、ストーリーや演出では不満を感じる事が多かった。穿った見方かもしれないが、ストーリーには感動させよう盛り上げようという、かなり作為的な処が目につき、例えば戦争はストーリー上あまり必然性が感じられなくクライマックスを盛り上げるためだけに起こされたように思えた。また、メインとなる主人公と息子以外のキャラクターの物語も中途半端な添え物といった感じで納得感がないまま終わり、何か作品全体がとっ散らかってしまった印象が拭えない。むしろそれらはバッサリ切り捨てて、二人の物語に注力した方が良かったのではないかと思う。
最後に、ストーリー進行、演出ではP.A.Worksに特徴的な、セリフ主体でややせっかちに物語を進めていく感じだったけれど、この作品に合っていたのか疑問が残る。登場人物の心情を表現していく上でもう少し表情や視線、声質、それから「間」を使って表現して欲しかった気がする。セリフ主体の表現では、物語に、人物の心に、引き込まれのめり込んでいくのが難しい。そういう意味で、人物作画は表情に乏しく、そして声優さんの演技はやや実力不足に感じられてしまった。
批判的な感想が多くなってしまったけど、テーマが素敵だと思うだけに、口惜しい感じだ。
むぅ…岡田麿里監督の情念が詰まった世界観・脚本とP.A.WORKSの総力戦とでもいうべき画面作りでとても総合力の高い作品でした。客観的に見て面白いことに違いない。
ただ、僕個人としてこの作品のテーマが刺さったかといえばそうでもなかった。この作品で描かれている親子感やもっと抽象的な人と人との縁が刺さる人ならもっと感動するんだろうなぁと思う。
あえて言うなら俺はマキアでもレイリアでもなく、クリムな人だから。
だが、それでもレイリアのラストの台詞にはグッとくるものがあった。これが単にマキア視点だけの物語だったらもっと興ざめしてただろうなぁ。
思っていたよりも重い話だった。そして全てのキャラにいまいち共感できずに終わってしまった…。別れ方が唐突過ぎたり、ええっそんな風に別れちゃうの、みたいに感じることが多かった。特にレイリアとその娘の別れのシーンがよくわかっておらず、あんなに会いたがっていた娘に会えたのになぜすぐに別れ、しかも自分のことを忘れろと言ったんだろう。レイリアが飛ぶシーンは「凪のあすから」のオープニングラストと同じような構図で描かれていたのが印象的だった。
背景美術も「凪のあすから」を彷彿とさせる綺麗な空や建物でとても良かった。マキアが最初にドラゴン?にしがみついて飛んでいた空は今までの青空とは違った雰囲気で、これもまたとても良かった。序盤に出てきた機織り機のシーンを見て「このはな綺譚」を思い出し、こっちの機織り機はちゃんと動いていてすごいなと思った…w (小並感)
この物語は、生き方の物語。
意志を持つ者たちの、意志にすがる者たちの生き方の物語だと私は感じました。
それは何かを獲得する類の意志ではなく、望んだことではない、むしろ受け入れがたい事実や状況に心を痛めながらも、自分がどうあろうとするか、態度表明としての意志だったと感じています。
マキアは、エリアルの母であろうとすることが、彼女の生きる意志でした。
レイリアは仲間は死んだと思った故に、娘のメドメルを想うことだけが彼女の生きる意志でした。
クリムは、レイリアを取り戻し、以前までの暮らしに戻ろうとすることが彼の生きる意志でした。
彼女が、彼がひとりぼっちで悲しくならないための、すがるような意志。
※レイリアにとってのメドメルを想う時間の長さが、彼女の軸となってクリムよりもメドメルを優先したのでしょうし、だからクリムは「俺以外は時間が進んでいく」と言葉にしたのだろうなと思います。
そして、マキアとエリアルの二人の関係性においては、実の母と子ではない故にいつ崩れてもおかしくない。それでも二人を繋いだのは、マキアの意志の強さだと思います。(その拠り所がエリアルの存在だったからこそかもしれません)
正解が分からなくても、迷いながら不安になりながらも、母であろうとし続けた彼女の意志は温かかった。
それゆえに「お母さんは泣かない」というその意志が、エリアルとの約束が、終わりを迎えた最期のシーン。彼女の涙は悲しいんだけど、悲しみだけじゃない感情に魅せられました。
石見舞菜香さんが主演で声をあてられると伺って、それがきっかけで見にいきました。
最初は、この世界観や登場人物への理解を得る前にどんどん話が進んでいったので、ちょっと駆け足かなぁと思ったけど、見終えてみて、最期までを描ききるには納得の展開でした。むしろ、最期までを描くとは思わなかったので、驚きでした。
見ていて胸がギュッと締まる想いでした。
さよならをありがとう。
2023/02/28 Filmarksプレチケ再上映
ざっくり一言で感想をまとめると 「世界観の難易度設定を間違えてハードにしてしまった、コブ付きのファイナルファンタジー」 という感じ
あらゆる方面で良い作品ではあるのだが、どれもクオリティが高すぎるあまりに高級過ぎて気がひけるような感覚。
多分見るタイミングが違ってたらクリティカルヒットするたいぷ
自分の中でハードルを上げすぎていたのかもしれない…。
「長命種との人生体感差」「生命の誕生と死去」「無能な国王の没落」そして「戦争」とか、感情を揺さぶるモチーフの目白押しみたいになってますやんか!
P.A.Worksによる圧倒的な映像美でそんな怒涛の感情圧をされても「アッ大変ッスネ、ア、お疲れ様です!うわ~機械都市カッコいいすね!」ってなる。
そして横文字の用語が多いのにどれも頻発する訳ではないので「は、はァ……?」みたいなざっくりとした認識で終わる。レナト(竜)は結局なんで最後飛んだんだ。赤目病は何だったんだ。
要するに一つ一つの要素に対して見入るほどの余裕が無いまま次弾装填に入るので全てがピチャっと浅いまま終わるという…。
そして親子間の無償の愛、そして人生の擦れ違いを描いていながら、シナリオも勿論、音楽と演出も合わさって「ココで泣いてくれ~~!」っていうのが透けて見えてしまって…
見ていて「うわ、泣くかも…」という良い所で、露骨なまでの【創作感】みたいなものを感じてしまって急に冷めるというのを幾度となく味わった。
一番メインのストーリー設定も長命種×子育てという手垢の付いてそうなベタな感じ。
男性エルフのクリム(調べた)が子
という存在に対する理解をしないで執着ヤンデレ化したまま落命したのは唯一同情した。
女性や子孫への共感性が無い人間はイケメンでさえもストーカー化するし、結局全てが中途半端なまま死んでいく……
タイトルの「さよならの朝に約束の花をかざろう」も結局あんまり「さよならの朝」要素も「約束の花」要素もそんなになくて……、と
感想を書いている今改めて考えてみたら「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」もそんなにタイトル要素無かったことを思い出してきた。
いい感じの表題でエモ要素を醸し出すタイプのタイトル釣りじゃん。この時期はこういう長文タイトル映画流行ってたような気もする。
あの花を思い出したついでに言うとどことなくあの花の演出感もあった。
なので、過去に「あの花」を見ていた自分という人間は免疫というか抗体が出来ていたから、所々の演出を見て「うわ。」と感じてしまったのかもしれない。
人生初の岡田麿里作品がこれだったらちょっと泣けるのかもしれない。……いや普通に母親や父親みたいに子育てをしたことあったら泣くか。
寒さを感じるのは斜に構えて変にスレたオタクだけかもしれない。
あ、戦争シーンの終わり方はちょっと良かった。
レイリアは我が子と対面し、全てを捨てて、囚われる前に旧友の残した「飛べる」という言葉を信じて飛び越える。過去を出来事として1つの機(ハタ)として記憶のやつ……なんだっけ…アレ…
に織り込まず、脳内で、風化していくように、忘れていく。
あの人生観には得も言われぬ叙情を感じた。
自らも子を成し、無償の愛を注いだ後に見るとまた感想も変わるかもしれない。
子を成すことを軽視しているオタクなのでそのうち何をも成せないまま落命しようと思います。
この映画は出会いと別れを描いた物語だった。
タイトルにもあるように「さよなら」に重きを置いていて、そこがとても丁寧に表現されていると感じた。種族との別れ、エリアルとの出会い、エリアルの母親との別れ、ミドの家族との出会い、エリアルの友達との出会い愛犬との別れ、ミド達家族・エリアルの友達との別れ、様々な人との再会、そして再び別れて最後はひとりぼっちになってしまう。しかし最後のシーンにもあるように別れは悲しいだけのものではないということを学んだんだね。
タイトルの意味についてはよくわからなかった。「さよならの朝」は最後のエリアルとの別れとして、「約束の花」とは何だろうか。「約束」はエリアルとの泣かないことと守るという約束。「花」は分からなかった。
考察していくとわかることが多いんだけど劇場ではん?と感じるシーンが多く時に退屈を感じることも。
最後のシーンもいまいち感動しなかった。終わった後もうーんといった感じで…
こりゃ2回行かないといけないやつか…
竜のデザインは、まるで風の谷のガンシップ
素敵な、とても素敵な作品でした
編み上げられた布は、子は、家の壁は、樹木の年輪は読み取れる人にだけの"言葉"となるでしょう。布はその布の民に、子の皺は親に。その"言葉"は言葉を超えて多くのものを識る人にもたらすのでしょう。灰の下での別れの場面で、言葉でしか伝えられなかった、言葉の民の、母の子の、エリアルの伝えきれなさが、伝わりきらなかった母のエリアルへの思いが(私がそれを言葉として表されなくては読み取れなかったことにもどかしさも感じました)、その場面が見終えた今は思いだされました。
言葉の民の端くれとして、そんなことを思いました。
ずっと、FFTがやりたいなあ、と思っていた。