フランクスに乗ることが性行為を暗示していると解釈すると、「フランクスに乗れなければ意味がない」という人生観は生殖行為を人生の究極目標と捉えるような、つまり人生論を生物学に還元していくようなスタンスに見える。それを否定するという話の流れになるならかなり論争的な主張を持ったアニメになるかもしれない。
クライマックスの場面にバトンを渡し続ける描写が挿入されるのが本当に完璧。
「大嫌いだけど大好き」/「悪魔だけど信じる」/「お前のために泣いてやりたいけど、涙も枯れ果てた」/「殺したけどどこかにいて欲しかった」
悪魔でありながら人間でもあるという「矛盾」した存在であるデビルマンを象徴として、様々なキャラクターの矛盾した心が描かれていたように思う。
しかしそれは批判ではなく、矛盾を含めて受け入れるという優しさに満ちた描かれ方であったように感じた。
ガタイが良くなった結果として視聴覚室でAVを見始めるの面白い。あと「デビルマンのうた(編曲:牛尾憲輔)」という文字列の破壊力。
話自体はおよそ考えられないほど面白くなってきた。「プリンセス・プリンシパル」の次に大河内一楼が脚本を書くのがこれってのがすごい。
恐ろしいほどよくできた1話。
「いつか、俺の言った事が分かる時が来る。そして初めて、自分がたくさん火傷している事に気付くんだ」/「“愛してる”を、知りたいのです」
個人的に街灯でぼんやりと照らされることでむしろ深く感じられる宵闇の描写が良かった。