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とても良い

この回、現代のアイドルについての物語としてあまりにも本質的だった。
「一つの色にまとまる」のではなく「やりたいこと」を貫いていい、というのは第2話の繰り返しだが、ここで新たに加わっているのは「ラブライブ」に象徴される競争的アイドル観だ。それに対して侑は「スクールアイドルがいて、ファンがいる。それでいいんじゃない?」とコミュニケーション的アイドル観を差し出す。『ゾンビランドサガ』では「昭和」「平成」によってメディアアイドル・ライブアイドルの対立を描いていたが、ここでは後者についてより詳しく、リアリティショー的な側面(モー娘。誕生時のエピソードやAKBの様々なイベントに典型的)とコミュニケーション的な側面(推し、推される関係)を対比させている。『ラブライブ』無印(サンシャインは未視聴なので分からないが)がリアリティショー的なアイドルを扱ってきた事を考えると、虹ヶ咲のこのテーマ性は正にその「次」として決定的なものだ。より広く言えば、新自由主義の箱庭としてのアイドル界の再現(アニメ化)を、個人主義的・社会民主主義的な何かへと向かう社会の動向に合わせて再編したと言えるだろう。
そしてこうしたテーマ性が上滑りする事なく、それぞれのキャラクターの心理を丁寧に描く中で紡がれている。驚くべき完成度である。



侑は自分がスクールアイドルになりたい訳ではないのか。そういえば第1話でもなりたいとは言っていなかったか、しかし話の雰囲気からするとちょっと意外だ。
「かわいいかすみんが引き立つからです!」への乾いた笑いなど歩夢のリアクションが結構冷たくて面白い。侑との「かわいい」の違いがはっきり描かれている様に見えるが今後のポイントになるのだろうか?



とても良い

穏やかな日常とそこに潜在する何者かへの憧れ、スクールアイドルの衝撃、そして喪失。侑のスクールアイドルに感じたときめきが非常に活き活きと描かれているからこそ、「なんてね」と笑うはあまりに切ない。藤津亮太が新海誠のテーマ性について「存在しないものの喪失感」と言っていたが、それと近い風情があると思う。歩夢もここで言葉を躊躇い、冒頭に出たかわいい服を見て「やっぱり言った方が…」といった顔、そしてマンションの前? でやっと「二人で始めようよ」と投げ掛ける。二人の内面の動きが非常に丁寧に描かれていて素晴らしい。(しかし歩夢が突然滑らかすぎる横ステップを踏むのはちょっと面白い)
作画はどこか顔に違和感を感じる場面もあるが、重要な芝居はきっちり決めていてそんなに気にはならないか。
ビッグサイトが校舎なのは何とも不思議だが、コロナ期間中で現実には立ち入りできないのが妙なリアリティ的何かを生んでいて面白い。



大して感謝もされず倫理もない仕事をするくらいなら他人の為に命を張る呪術師をやる、という選択をしたと考えると七海の選択は何とも高潔だ。
敵が人間だったとかで戦う意味を問われる展開はよくあるが、虎杖はそこで全く立ち止まったりはしない。改造人間は常識的に言えばもう殺すしかない訳で、それは殺す。だが考え続ける。これは我々の現実への向き合い方と近しく、故に「どうしよう」で立ち止まってしまう過去の諸作品と較べてリアリティがある。
一度アドバイスはしていたが両面宿儺は伏黒に随分期待するところがあるらしい。
今回はOP前など特にダイナミックで「アニメ的」な作画が光っていたと思う。「ぬるぬる動く」というよりこういう大胆な取捨選択をした作画の方が個人的には面白い。
教師が良い人っぽくなってたのだけはちょっとどうかと思うが。



順平普通に死んじゃった。結局真人の思惑としては両面宿儺に接近する為の手立てに過ぎなかったという事か。こういう共存する類の敵は何だかんだ主人公に甘くなりがちだが、両面宿儺はきっぱり断っていて威厳がある。



課外授業も兼ねて生徒にイレイナを探させるフラン。やはりこの世界の人々は「他人を利用した者勝ち」の精神を感じさせる。
魔女の武闘派な面が示唆されてきただけに、ただ好きだから魔法を使う人々へのイレイナの感動は深みがある。去り際イレイナは珍しく感傷的になっているが、それも要するに本当に本心で今まで訪れた国の中でこの国が一番好きだという事なのだろう。平坦な様で考えてみるとなかなか味わいのある話にも思える。
第3話といい臆病な女の子が妙にかわいい。



第3話で人間の話と書いたが正にそういうやばい女エピソードで良い。
記憶を代償にした呪いと言っていたが、王の自意識を維持させたのと繋がっていたりするのだろうか?



花、なかなかの不条理系である。最後の人々は燃やした花が原因なのか?(その割に折角描写した国の人々との同一性を示す描写がなさそうに見える)だとすれば焼却処分するのは何とも迂闊だ。
瓶、意味ありげでそうでもない描写が多い様な。前半のノリで行けばニノは絶望して死んでしまいました。おわり。なんだろうが、「命令、なら…」の僅かな表情の綻びに二人の信頼関係(奴隷関係を形骸化させた蜜月)を読み取っても良い気もする。ただ別れ際の薄い影などあからさまに不穏だし、物語と同じ結末が標準解なのだろう。
室内調度や食事の描写が丁寧で実在感があって良い。

キノの旅とよく比較されているが正直枠組みが近いだけでテーマ性はかなり違う様に思う。キノではそれぞれの国の制度に焦点が当たる事が多いが、イレイナは基本的に個々の人間を見ている。というか瓶の話の様に必ずしも国が明確でないので必然的に人が中心となる。制度は「なぜこうなってしまったのか」という面白みがある一方分かってしまえばそれで終わりだが、今生きている人間はそこに現在のドラマがある。差別化の必要があるとしたら(いやどう見ても違うでしょというのが私の気持ち)そういう部分になるだろうか。



順平への揺さぶりが物凄い。本当に仲間になるのか怪しくなってきた。
真人が子供、発展途上と位置付けられていたのがパワーバランスへの強い意識を感じられて良い。(一級でも頑張れば撃退できる、などとなると冒頭の数話で見せた圧倒的強者としての特級の意味が薄れるので)



魂は物であり何ら尊ぶにあたらない。清々しい唯物論的(反)倫理である。(まぁ機械論者として「見えないものを特別視しすぎ」というのは首肯できる)
順平はかなり純真らしく、無関心というのは実のところ人間への素朴な信頼と失望に起因すると言える。「嫌いな奴は好きに殺せ」「嫌いな奴は退かしておけ」順平はどちらを信じるのか? OP的には仲間になりそうだが。
真人戦を案外引っ張る。七海に奥の手がある様だが呪術は一人一種という訳ではないのか。ここで逃げられる様だと真人が小物っぽくなってしまう気もするが如何。



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