意味深なシーンからの滑り出し。
普通に海に落ちたら危ないからプールに落ちたみたいな反応で違和感感じちゃった。
海外の人と国内の人との交流がある地域なのかな。
地域でのつながりも深そう。
いきなり不穏だ...
突然の展開...
なるほど、ループものなのか。
冒頭からいきなり演奏が入った
11話の終わり方から(演奏なしでって展開もなくはないのか..?)と思っていたので見られて嬉しい。
ただ後藤ひとりの浮かない表情、なぜ?
ボトルネック奏法!?!?そういうのがあるのか...カップ酒が伏線ってそんなことある!?
面白いことってそんな事あるかいなwww
御茶ノ水あたりに楽器屋さん多いのってちゃんと経緯があるんだ。多いな~程度に思って経緯まで考えたことなかったな。愚鈍。
ギターっていい値段するよなぁ。金管楽器とかピアノとかに比べるとお手軽なんだろうか。音楽関係の機材はわからないな。
新しいギター買って嬉しそう。いいよね。新しい機材。
すごいしっとりとEDに入った。
学園祭成功させてうお~~~みたいなステレオタイプな終わり方ではなくて、日常と地続きな雰囲気のある終わり方になっている。成長物語としては挑戦的な終わり方だけど、この物語にはしっくりきていいですね。
新しいギターとの新しい物語に向けて一歩進むことに淡い期待感を醸しつつもあくまで地続きな日常という。
2期あるのかな...
冒頭のでっかいフランクフルトデカすぎて冷静に考えちゃった。びっくり。
HUMAN NO
普段がジャージだからメイド服が際立って可愛く感じる。
後藤ひとり「みんなで回る文化祭も悪くないかも」
こう思わせてくれる仲間に出会えて良かったね・・・
おむらいす。たべたいな。と思っていたら後藤ひとりの呪文が本当に不味そうで笑っちゃった。見てるだけなのに若干の食欲減衰効果が・・・
喜多郁代「だって、後藤さんはすごく・・・!・・・いやなんでもない」←このシーン良い。
これから演奏って前に死亡フラグみたいな妄想入れるの逆にどうなるかわからなくてドキドキしちゃうな。
こういう円陣組むみたいなキラキラ、本当にやっちゃうんだ...!
圧倒的喜多ちゃん人気。
ステージにカップ酒乗せるなwwwというか高校やぞwww
これから演奏ってシーンで終わっちゃった。引き込まれるなぁ・・・次の話で演奏見せてくれないんだろうなぁ・・・こう、後日談とかそういう感じになるのかな。
結束バンドの学園祭ライブ楽しみだな・・・
吉田銀次郎さん・・・すき。なんかオネェの人無条件でいいなと思っちゃう。
今更気づいたけど廣井きくりさん。下駄、履いてるんだ。
ギターソロ。楽しみだな。
「みんなで思い出作りにいきましょう」
思い出って作るものなのかという気づき。自分の中の理想だと思い出って作りに行くものではなくて自然とあるものなのでギャップを感じた。
山田リョウの「ぼっちちゃんこんなに面白いのに」の面白いがいろんな感じに捉えられそうなのがいいよね。
ウェイ系がつけてた眼鏡が第7話でぼっちちゃん家でかけてた眼鏡と同じで笑った。
そういえば後藤ひとり、夏でも長袖ジャージなのか・・・
江ノ島って行ったこと無いな。行ってみたさisあり。釣りしたい。
突然のヤムチャ。
喜多郁代さん・・・後藤ひとりと一緒に居られてまだ楽しいが続くんだ!って言えるのすごいな。あまりに思考が明るすぎてびっくりしちゃった。
後藤ひとりさん・・・今日は楽しかったですとか言えるようになったんだ・・・すごい。
作品タイトル同名のタイトルの話なので一山ありそうと期待。
ライブが始まったときすごい苦しくなった。
世界から受け入れられていない感覚。
しかしながら自分の内に篭ってしまう今までの後藤ひとりはそこになく、バンド全体のために「このままじゃ嫌だ」と思える後藤ひとりに成長していたこと。とても暖かかった。
ここからぼっち・ざ・ろっくが始まるんだろうなという期待感と共にライブが終わる。
後藤ひとりの将来妄想がところてん(心が太い)の営業なのが皮肉効いてていいよね。
伊地知虹夏「お母さんは小さい頃に亡くなって、父親はいつも家にいないし、お姉ちゃんだけが家族だった」
旧態然とした血縁による家族という意味が解体され、家族の意味が再考されていることをこのセリフの裏に感じる。
伊地知虹夏「みんな大事な思いをバンドに託している」→後藤ひとりの想いを問う。
社会の最小単位であるところの家族が解体された現代で生きる迷える個に1つの解を提示するかもしれない。
key: 家族とは
家の照明暗いまま話進むのかと思ったら後藤ひとりの妹ふたりが出てきてから明るくなって良い演出だななど
星型のピカピカ眼鏡、実際に作ったらだいぶ煩わしそう
時々入ってくる実写シーンやら違うタッチの絵がシュールで笑う
「自分の家に友だちがいるのって、なんだか不思議だな」
確かにこの感覚って何なんだろうな。日常の中に非日常がぬっと立ち上がってるくる感じ。大人になったら味わう機会の無い感覚。自分の家が”ウチ”で他は"ソト"という意識が自然とあって、独り立ちすると"ウチ"なる存在が無くなってしまうのだろうか。
ぼっち憑依喜多郁代が「可愛すぎてごめんなさい」って言ってるの、自己肯定感の塊ですき。陽。
肝臓に沁みるって表現初めて聞いた
鬼ころしの4合瓶ってあるのかなと思って調べたけど無さそう
https://onikoroshi.co.jp/product/sake-pack/onikoroshi/
敵を見誤ってはいけないよ ←良い
ライブの成功を純粋に想っているぼっちちゃんのニコニコ顔の透明さが眩しいが同時にいとおしい
ぼっちちゃんの長い髪、ウィッグネットに違和感なく収まるのだろうかとどうでも良い事を考えてしまった。
バンドリーダーとしての伊地知虹夏目線でのストーリーを考えていると、ぼっちちゃん気質の自分からしたらバンド活動自体に「自分の目標にバンドメンバーを付き合わせること」みたいな歪んだ解釈が入って胃が痛くなる。伊地知虹夏はぼっちちゃんとちゃんと対話してえらい。
演奏シーンでほとんど違和感なく3DCGアニメーションに切り替わっていて気づいたときに感動した。
このアニメの絵作り専用にシェーダー書いたりするんだろうか。すごい。
喜多郁代の声がかっこよき
key: 成長とは